観心本尊抄の指導原理について

【観心本尊抄の指導原理について】1/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時22分48秒

  天台大師の著述のなかで特に重要な著述は「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」ですが、

これは天台大師の「三大部」として非常に有名です。


日蓮大聖人の場合も、古来「三大部」「五大部」「十大部」として、弟子たちが尊重してきました。


大聖人における三大部は「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」とされていますが、

それに「撰時抄」「報恩抄」を加えたものが五大部です。


立正安国論は「諌暁の書」、開目抄は「教の重」、観心本尊抄は「行の重」と

位置付けされていて、御書の中でも特に重要な著述です。ちなみに当体義抄は「証の重」です。


日蓮大聖人は「開目抄」で、法華経身読を完成させた事を語り、一念三千の体現者であることを論証しました。


一念三千の体現者とは【開目抄の指導原理について】でも述べていますが、

すべての人々の生命(十界)に具わる仏界を開く成仏のことです。


いわゆる仏界即九界・九界即仏界です。

法華経の行者とは、自らが「一念三千の成仏を体現した人」ということです。


開目抄は「日蓮大聖人の宗教」を《人の振る舞い》という面からアプローチをしていき、

論理的に確立された教義書と見ることができます。


そして、一念三千の体現者ならば、仏法的な意味で、

円満な欠けることのない「徳」を備えていなければならない事になります。


師の徳、親の徳のみならず、主の徳を備えていなければなりません。

「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり」(二三七頁)

「日蓮は日本の人の魂なり」(九一九頁)という言葉は、

この一念三千の体現者という自覚と裏づけがない限り出てくるものではないでしょう。


しかし、大聖人の立てた「教」は、自らの法華経の身読をもって成就し完了するものではありませんでした。

つまり、師匠が三徳(主師親)具備したことを到達点として完了しては何の価値も生み出さないことになります。


師の到達点を、弟子の出発点とするためには、

まず大聖人が一念三千の体現者であることを弟子に信じさせねばならず、

そのために「開目抄」や多くの著述のなかで、繰り返し繰り返し、自らを語り続けてきたのです。


佐渡流罪以降、弟子たちはそういう大聖人を信じ、外護し、供養を捧げていきました。


師匠である大聖人は、そんな弟子たちが一念三千を体現した師を信じることによって、

弟子らの「信」の中に、師と同じ一念三千の法が体現されることを確信していました。


事実、四条金吾の受けた難、池上兄弟が受けた難、下山の日永が受けた難は、

大聖人に連座した難ではなく、自らが戦いを起こして競い起こった難です。


師匠の列々たる激励のもとに、弟子たちはそれを見事に乗り越えていきました。

 

【観心本尊抄の指導原理について】2/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時23分46秒

  兄弟抄には

「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずは正法と知るべからず。

第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る。

乃至随う可らず、畏る可らず。之に随えば将に人をして悪道に向わしむ。

之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり。

謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(一〇八七頁)とあります。


師匠は、弟子に断言します。

三障四魔が競い起こらない信心は、「法華経の行者」とは言えないし、私の説く法門でもない。

本物であるかないかは、三障四魔と戦ったか否かにすべての答えがある。


それはすでに私が大難に遭い、すべてを打ち破る戦いをしたのがその証明だ。

日蓮こそが法華経の行者である。


私の弟子というならば、魔に負けてはいけない。臆病であってはいけない。

勇敢に魔を打ち破っていくのだ。


このような信心をしていくことが私の本当の弟子であり、

それを習い、手本として未来永遠に伝えていきなさい、との指導激励です。


ここに一念三千の法が「信受」という形で普遍化し、弟子たちに手渡されて伝授されていくのです。


だから大聖人が生涯を通し、命をかけて肉付けし、意義付けしてきた「法華経の行者」

という言葉が、大聖人の身読以降は、大聖人のみの固有の呼称ではなくなり、

師匠を信受する弟子たちも同時に「法華経の行者」と呼ばれるようになるのです。


報恩抄には

「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし。

日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(三二九頁)とあります。


大聖人の仏眼は、常に未来を見つめていたにちがいありません。

自ら悟った仏の「境涯」自らが体現した「法」がいかにして未来永遠に流布していくのか、

どうすれば末法万年の民衆を救い切っていけるのか――その一点に向けられていたと思います。


自身の「境涯(仏界)」、自身の「体現した法」が正確に未来に向かって伝持され、

広宣流布を成就していくためには、明確な目に見える「形」で残す必要がある。


人の心は肉眼では見えないが、行動や言葉によってその心は表現できる。

このように大聖人は考えていたのではないでしょうか。


ここにおいて、人の面から一念三千を追求してきた「開目抄」に引き続き、

「法」の面から一念三千を追求する必要があり「観心本尊抄」を書かなければならなかった。


そういう意味で「開目抄」と「観心本尊抄」は、その文体に大きな違いはありますが、

はじめから一体のものとして考えていたと思うのです。


そして「人本尊開顕の書」である開目抄につづいて「法本尊開顕の書」である観心本尊抄を著されました。  


【観心本尊抄の指導原理について】3/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時24分44秒

  実際、竜口での「発迹顕本」以降、本尊を顕していかれたのも、

自ら悟った境地を未来の人々に示し、万人を「幸福の道」に導こうとしたからです。


本尊問答抄には

「勝れた本尊とは、教主釈尊ではなく『教主釈尊・多宝如来・三世十方の諸仏』が

本尊とした法華経そのものである」(三六五頁)とあります。


釈尊を仏にした「仏」――。

つまり「根源の法」である妙法です。釈尊は自分が妙法の当体であることを菩提樹の下で覚知しました。

そして、あらゆる生命も同じく妙法の当体であり、それを覚知できる存在であると知った。


しかし、人々はその真理に目覚めていない。

さまざまな迷いに覆われて、愚行を繰り返し、苦悩に陥っている。


釈尊は、自分と同じ可能性を持つ人々の生命を慈しみ、苦悩に寄り添い、

万人に秘められた真理を自覚させていくために「全人格」をかけて法を語り戦っていきました。


釈尊は、根源の法である妙法が、自身の生命のうえに顕現し、自身と一体となる境地を味わいます。


それに目覚めてみれば、自分自身が「永遠の妙法」の当体であり、

「永遠に衆生救済に戦い続ける仏」であると悟ったのです。


この仏が、寿量品に説かれた「久遠実成の仏」です。

これを大聖人は「南無妙法蓮華経」と名付けました。


南無妙法蓮華経は「法」の名であるとともに、

その法と一体になった仏の生命、つまり大聖人の生命の名でもあるのです。


結論からいうと、釈尊や諸仏を本尊とするよりも、この「根源の法」を本尊とすべきなのです。

そして、その本尊を図顕していく転機となったのが、竜口の法難における「発迹顕本」です。


大聖人は、立宗宣言以来、竜口の法難に至るまでの十八年間、

瞬時も休むことなく、死身弘法の「法」を根本とする闘争を貫きました。


竜口の法難は、その頂点に位置するもので「法」と一体化した人間の偉大さを証明した出来事だったのです。


開目抄で大聖人は、本尊を図顕するに当り、自身がいかなる人間なのかを明らかにします。


ではなぜ、観心本尊抄を著す必要があったのかというと、二つの理由が考えられます。


一つは、佐渡に流されて帰れるかどうかも不明で、大聖人は命を狙われるという緊迫した状況下にありました。

当時の弟子たちのためにも、法華経の信仰の規範を示す必要があった。


もう一つは、もしも佐渡の地で死んだ場合、令法久住・広宣流布のために、

大聖人が凡夫として成就した仏界涌現の道を正しく残す必要があった、この二つです。


大聖人は「開目抄」と「観心本尊抄」の二つの著作で、

本尊を図顕する資格を説明し、全人類を救済していく筋道を明確に示しました。


では、その観心本尊抄には何が説かれているのでしょうか。

それを皆さんと共に考えていきたいと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】4/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時25分43秒

  その前に、観心本尊抄を研鑽する心構えについて確認したいと思います。

これは大聖人自らが「観心本尊抄送状」で述べています。


では本文です。

「観心の法門、少少之を注して大田殿、教信御房等に奉る。此の事、日蓮身に当るの大事なり之を秘す。

無二の志を見ば之を開たくせらる可きか。此の書は難多く答少し。


未聞の事なれば人、耳目を驚動す可きか。

設い他見に及ぶとも、三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ。


仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず。国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す。

乞い願くば、一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(二五五頁)


――観心の法門を少々これを書いて大田殿、曾谷殿、その他強信の人々に送る。

この事は日蓮が身に引き当てての大事であり深くこれを秘す。


純真な信心で無二の志があるならばこれを開いて拝読せよ。この書は論難が多くて答えが少ない。

今まで聞いたことがない法門だから恐らく人々は耳目を驚動するであろう。


たとえ他人が集まって見る時でも、三人四人と座を並べてこれを読んではならない。

仏滅後二千二百二十余年の今日に至るまで、いまだこの書の肝心が世に説かれることはなかった。


いま日蓮は王難を受け、佐渡へ配流されている身であることも顧みず、

五五百歳に当たる末法の初めを期してこの未曾有の法門を述べ説き明かすのである。


こい願わくば、この書を一見した弟子たちは、

必ず堅く信じ抜いて師弟ともに霊山浄土に詣でて三仏の御顔を拝見しなさい――と。


この観心本尊抄に記した内容は、大聖人自身の悟りを明かした法門であり、

いいかげんな姿勢で絶対に読んではならないことを戒められています。


富木殿、大田殿、曾谷殿等、ここに名前を記されている人々は、

その信心を一往は認められてこの書を読むことが許されたのでしょう。


しかし、もし他の人に見せる場合は、「無二の志」の人でなければならないと断言しています。


「無二の志」とは、大聖人を信じて疑わない人、どんなことがあっても退転せず、

生涯、信心を貫く人、またその覚悟があるということです。


また

「此の書は難多く答少し。未聞の事なれば人、耳目を驚動す可きか。

設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」とありますが、


仏法の歴史において、古来から「究極の真理」や「法体」というものは、言語道断とされ、

言葉として表し得るものでもなく、思考の及ぶところではないとされてきました。


当時の仏教者の本尊観は、

釈迦像や薬師如来などの仏像が本尊であることが当たり前に定着していて、

誰も異論を唱える僧侶はいなかったと思います。


大聖人はそれを具体的に「本尊」として図顕し、題目を万人が唱えて実践できるものとしたのです。


これは当時の時代としては画期的な本尊革命であると同時に、難信難解であり、

既存の知識や道理で説き明かせるものではありませんでした。


もしこれを「おおやけ」にするならば、疑惑を生じ、ひいては不信、謗法に発展し、

かえって多くの人々を地獄の罪に追いやる可能性がある。


このことから「之を秘す」といわれ、

「三人、四人坐を並べて之を読むことなかれ」と戒められたのだと思います。


だからと言って、絶対に誰にも見せてはいけないという事ではありません。


それは「無二の志を見ば之を開たくせらる可きか」の文からも明らかです。

真に胸襟を開いて語り合える同志であるならば、ともに研鑽してもよいと言うことだと思います。


それに、すでにこの「観心本尊抄」は宗派を問わず全世界に公開されています。

私たち会員も、大聖人の図顕した御本尊を無二と信ずる同志の集いであり、広布の大願に立った異体同心の同志です。

この書を研鑽する資格は十分にあると確信します。  


【観心本尊抄の指導原理について】5/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時26分40秒

  この送状の終りに、この本抄を一見した人は、

仏法の真髄に触れたのだから誤りなく信心を全うし、必ず成仏を遂げていきなさいと励まされています。


「三仏の顔貌を拝見」するとは、釈尊・多宝・諸仏を三仏といいますが、

大聖人の立場でいえば、この三仏は「法・報・応」の三身を表し、無作三身如来のことをいいます。


そして、顔貌を拝見するとは、わが身が無作三身の当体であると悟り、

わが身にこの本尊があると覚知していきなさい、ということなのだと思います。


では、このことを踏まえて、観心本尊抄の論理構造を見ていきましょう。

観心本尊抄の冒頭は、いきなり天台の「摩訶止観」の引用から入り、唐突な感じがします。

開目抄の「テーマ・解釈・結論」の展開からいっても「テーマ」の部分が飛ばされています。

しかし、開目抄と引き合わせて読むと

「観心本尊抄」のテーマの部分は、開目抄の中にあることがわかります。


開目抄の冒頭から読んでいくと、

最初の段階で「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。

竜樹・天親知つて、しかもいまだひろい・いださず。但我が天台智者のみこれをいだけり」(一八九頁)

という文がありますが、ここで一念三千の法門が大きな問題として提示されています。


大聖人はこれを受けて「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(同頁)という

新たなテーマを立てて、この問題を考察していくのですが、開目抄では、

あくまでも「教」の面と「人」の面からのアプローチに止めています。


本当ならここで「観心」の面と「法」の面からアプローチをしていく方法もあったと思うのですが、

その「観心」と「法」の二つの問題を考察しているのは「観心本尊抄」なのです。


つまり、開目抄の「一念三千は十界互具よりことはじまれり」は、同時に「観心本尊抄」のテーマとなるのです。


また、開目抄が「人」の面からアプローチしたにも関わらず、

結論段階で法華経の行者が体現している「法」の問題に行き着きました。


それと同じく、観心本尊抄も「法」の面からアプローチを進め、

最終段階でその「法」を末法に弘めていくのは誰なのかという「人」の問題に戻っていきます。


そして「観心本尊抄」の最終段階でその結論を次のように語られました。

「一念三千を識らざる者には、仏・大慈悲を起し、

五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(二五四頁)


――一念三千を識(し)らない末法の人々に対して、仏は大慈悲を起こし、

一念三千を本尊として末代幼稚の首に懸けよう――と。


ここで大慈悲を起こした「仏」とは誰のことなのでしょうか。


こういう問題を解決していくためには「開目抄」と「観心本尊抄」は、

お互いに補い合う関係にあるものとして読まないと内容が正しくつかめないと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】6/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時27分36秒

  大聖人は、観心本尊抄の中で「天台大師の到達点」を詳細に語っています。

それは「摩訶止観」第五の巻の正観章で初めて明かされる「一念三千」です。


大聖人の本尊は、この「一念三千」を本尊として質的に捉えなおしたものです。

また釈尊の到達点は「法華経」ですが、その究極を大聖人は「南無妙法蓮華経」であると認識したのです。

観心本尊抄に「本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字」(二四七頁)とあります。


もう少し詳しくいうと、

大聖人と天台の法華経へのアプローチの仕方は、ある意味で正反対であると思います。


その端的な例が、三障四魔の捉え方に現れています。

三障四魔に触れた大聖人の御書はたくさんありますが、なかでも先ほどの「兄弟抄」には次のようにあります。


「其の上、摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし。

此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、


第五の巻に云く

『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る。乃至、随う可らず・畏る可らず。

之に随えば、将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば、正法を修することを妨ぐ』等云云、


此の釈は、日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(一〇八七頁)というものです。


ここは非常に重要なところです。

まず「摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし」という一文ですが、

大聖人はどこからどこへ立ち入ったのでしょうか。


天台の説いた一念三千は「観心本尊抄」で詳細に言及していますが、

三大部のうち「法華文句」「法華玄義」では説かれず「摩訶止観」十巻の半ば、第五の巻でやっと明言したのです。


ということは、一念三千が天台思想の究極に位置する法門だということでしょう。

しかも天台は、そこからさらなる一念三千の展開や、活用も示すことはしませんでした。


言ってみれば、到達点として示したにすぎません。

しかし、この一念三千は、国土世間を取り込んでいることからもわかるように、広く社会へ開く契機を含んでいます。


もちろん天台は、それを社会に開くことはありませんでした。

それを社会に開いたのは、日蓮大聖人です。


つまり「一重立ち入った」のは、

天台の地平から大聖人の領域へ一歩立ち入ったということではないでしょうか。


そう考えると、大聖人と天台の違いは明確になります。


天台の修行体系は、座禅を土台としていることからもわかるように、観念観法という内観修行です。

外界に起こることも、仏の説く法門も、すべて己心のなかに展開される世界として捉えています。

このことは、天台自らが「法華玄義」巻二上の三法妙を釈する中で告白しています。


そこで述べていることは、

衆生法妙(外界に起こること)、仏法妙(仏の説く法門)も、己心なかに展開される世界(心法妙)も、

心・仏・衆生三無差別として、もっとも取り組みやすい心法妙の立場からアプローチするというものです。


それに対して、大聖人のアプローチの仕方は、

「斯人行世間の五の文字は、上行菩薩・末法の始の五百年に出現して

南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり。

日蓮は此の上行菩薩の御使として、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり」(九〇三頁)というものです。


つまり神力品の「斯人行世間(斯の人世間に行じて)」とあるように、

民衆の中に飛び込んで忍難弘通の生涯を送ることによって「法華経」を身で読もうとするものです。


これは非常にわかりやすい取り組みといえます。  

お経のタイトル連呼の理不尽  投稿者:求道  投稿日:2015年 1月14日(水)10時27分10秒

  お経のタイトル連呼したらなんで功徳あるのか

この根本的疑問に答えられる人が皆無なのが絶望的といえる  


【観心本尊抄の指導原理について】7/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時29分2秒

  話を「兄弟抄」にもどします。


天台の「摩訶止観」で説かれる三障四魔は、

あくまでも内観修行の中で現れる無意識層の世界で展開される障害です。

決して外部から修行を邪魔されるものではないのです。


これに対して大聖人は、法を弘めることによって、

外部から「反対・抑圧・弾圧」をする存在として、三障四魔を捉えました。


ということは、

「此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」の「此の釈」は、

天台流の解釈ではなく「一重立ち入った」大聖人の立場で解釈しないと意味が通じないことになります。


結論的に言えば、天台の一念三千は内観修行を通して獲得した理論的な帰結であっても、

広く民衆が実践する法としては、具体的な姿で指し示すことが出来なかったのです。


だから、大聖人の仏法の立場からは、天台の一念三千は「理の一念三千」と呼ばれ、

実践論として三大秘法の確立を示した大聖人の一念三千を「事の一念三千」として区別できるのです。


「一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。

天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり」(九九八頁)とある通りです。


では、この天台の一念三千の発想はどこから出てきたものなのでしょうか。


大聖人はそれを「一念三千の出処は略開三の十如実相」(一二七四頁)と言っています。

つまり方便品の「諸法実相」からだというのです。


一念三千が十如実相に基づいている以上、十如実相が大聖人の「法を弘める」実践の中で、

どのように読み込まれているのかを見ていく必要があります。


大聖人と天台の違いを明確にするには、

どうしてもこの問題に触れなければわからないと思うのです。


また、なぜそこにこだわるかというと、

鎌倉時代の五老僧たちは、師を御本仏とは捉えられず、大聖人の立てた法門も理解できずに、

師匠亡き後「師匠は天台沙門である」などと言い出す弟子が出てきたからです。


実際に、大聖人も観心本尊抄の中で

「墓(はか)ないかな、天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に

一念三千の重宝を盗み取られて、還つて彼等が門家と成りぬ」(二三九頁)


――情けないことに、天台の末学の弟子が華厳宗や真言宗の元祖に

一念三千の重宝を盗み取られて、かえって彼らごとき盗人の弟子となってしまった――と嘆いています。


つまり師匠が苦労してつかんだ到達点を、

弟子が不勉強のために、師匠の法門を研鑽することもせず、理解する努力も怠り、

簡単にその重宝を盗まれて邪宗の元祖を飾るための道具にされてしまった。

天台の弟子はそのことすら理解できずに、彼等の弟子に成り下がってしまったということです。


それは、五老僧においても同じです。

五老僧は大聖人の真実の法門を理解していなかったばかりか、師匠を教訓する弟子もいたのです。

これは歴史が厳然と証明しています。


創価学会も例外ではありません。

師匠に甘え、師匠の威光を利用し、師匠の思想を勉強しない末弟は、

厳しく言えば、必ず近い将来、天台の末学者や五老僧になっていくでしょう。

そうならないためにも教学の研鑽は仏道修行の重要な必須条件なのです。


話をもどします。

十如実相が大聖人の「法を弘める」実践の中で、

どのように読み込まれているかという疑問に対して、大聖人は実にみごとに答えています。


それが「教・機・時・国・教法流布の先後」の五義です。


ちなみに、学会教学でもこの「五義」を「宗教の五綱」として教えていますが、

この「五綱」という呼称は、大聖人の法門にはなく、

近代になってからのもので、明治初年の日蓮宗「日輝」の造語です。

(「充洽園全集」第三編(弘経要義二頁)大東出版社刊)


だから私は「五綱」と言わず、大聖人に従い「五義」と言っています。  


【観心本尊抄の指導原理について】8/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時29分52秒

  大聖人は

「行者仏法を弘むる用心を明さば、夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし。

五義とは、一には教、二には機、三には時、四には国、五には仏法流布の前後なり」(四五三頁)――と、

仏法を弘める法華経の行者の視点として「五義」を示しました。


そこで、今度は「五義」と「十如是」の関係を簡単に説明します。


まず「十如是」については、

法華経方便品に「所謂諸法、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・

如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」(法華経一〇八頁)とあり、十如是の名目をすべて挙げています。


この十如是を解釈して天台は『法華玄義』に

「次に十如是の法を解す。初に通解し、後に別解す。

通じて解せば、相は以て外に拠る、覧て而も別べし、名づけて相と為す。

性は以て内に拠る、自分改めず、名づけて性と為す。主質を名づけて体と為す。功能を力と為し。構造を作と為す。

習因を因と為し、助因を縁と為し、習果を果と為し、報果を報と為す。

初相を本と為し、後報を末と為し、帰趣する所の処を究竟と為す云々」(大正三三巻六九四頁)と通説しました。


要するに、天台はこの十如是を法華経の根本原理とし、

十如是をもとに「十界論・三世間」を活用して一念三千論を形成し「摩訶止観」で表明したということです。


天台は、この十如是をもって己を内観していく一心三観・観念観法という座禅をもとにした修行法を打ち立てました。


これに対して大聖人は、天台の理論を踏まえつつ、独自の捉え方で展開します。


それは、内面に向かう発想ではなく、外に向かっていく発想です。

つまり、天台の観念観法に対して、大聖人は如説修行という世間に行じていく修行法を立てたのです。


だから十如是の捉え方も、天台とはおのずと違ってくるわけです。

十如是は、転変しゆく森羅万象を十の局面に分けて捉えたもので、

生命に対するトータル的な認識と言えます。


大聖人はこの十如是を、諸現象を認識する視点として活用したのです。


ということは「弘教」を十如是をもって捉えることも可能になってきます。

十如是から「五義」を導き出し、弘教の用心にした独自の視点は、天台の「理」と、大聖人の「事」の決定的な違いだと思います。


それは「座禅して瞑想する」観念の仏法に対して

「自行化他の題目」を実践する仏法の違いともいえます。


日蓮大聖人の仏法は「行動する」活の法門なのです。  


【観心本尊抄の指導原理について】9/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月14日(水)10時30分58秒

  では、一度整理します。


天台のいう十如是は、

内観を通じて一念三千を体得することを志向したのに対して、


大聖人のいう十如是は、

弘教の方軌(規則性)として「教・機・時・国・教法流布の先後」の五義を導き出したばかりでなく、

より重要なことは、この社会に開かれた実践を通じて一念三千を体得していくことでした。


五義を知った「法華経の行者」とは、まさに一念三千の体現者以外の何者でもありません。


「此の五義を知つて仏法を弘めば、日本国の国師と成る可きか」(四四〇頁)とありますが、

五義を知り理解していくことが広宣流布のリーダーの必須条件ともいえる。


また逆に、五義を知る人こそが本当の仏法指導者なのだと思います。


大聖人は「観心本尊抄」で、一念三千の出処を考察した後、続いて「観心」について考察していきます。


次は、それを見ていきましょう。


では本文です。

「観心とは、我が己心を観じて十法界を見る。是を観心と云うなり」(二四〇頁)


――観心というのは、自分自身の心を観察して、十界を見ることである。これを観心というのである――とあります。


自分自身の生命に、地獄から仏までの十界の境涯のすべてが、本来的に具わっていることを観察する。

それが「観心」の実践であり修行であるということですが、

これは釈尊以来「天台・伝教・日蓮大聖人」と一貫した仏法者の論理です。


この論理構造を天台は「止観」と表現しました。

経文に照らした行動とは、まさに止観の「止」であり、それから導き出される観心釈とは、止観の「観」です。


つまり「止」とは仏説による修行であり、「観」とは修行の実践を通して見えてくるものです。


天台思想の究極は「摩訶止観」ですが、

その止観は初期仏典の「阿含経」に示された修行法の「止観」を重視したものです。

このことからも「止観」は釈尊以来の伝統であることが分かります。


また「観心釈」とは、経文を表面の字義に即して解釈するのではなく、

その経文の本意を修行や実践を通して、己心に写し出して解釈していくことをいいます。


たとえば、学会の幹部はよく「信心で受け止めろ」という指導をします。


厳密に言うと、これは「観心で受け止めろ」という意味なのですが、

最近の学会幹部は「壮・婦・男・女」問わず、総県レベルの幹部でも体験を持っていない人が少なくありません。


自分自身の何らかの目標を達成した体験があったとしても、

厳しく言えば、それは努力であって観心の修行ではありません。

全部自分自身のための目標です。


観心の修行とは、仏説による修行の体験であり、その修行の実践を通して見えてきた信心の歓喜と確信だと思うのです。


このような体験を経験していない会員に「信心で受け止めろ」と訴えても、そこに共感や納得が生まれるでしょうか。


また逆に、このような体験を経験していない幹部が、会員に対して真実の信心指導ができるのでしょうか。


観心釈とは、決して飛躍したものではなくて、ありのままの法華経身読の喜びを語る――

それが強がりではなく本物であるなら、その喜びをもたらした者への感謝の念が起こるのは自然のことです。


このような「法悦」にも似た感情は、実践者でなければ実感できないのではないでしょうか。



・・・・明日につづく。  


【観心本尊抄の指導原理について】10/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時51分41秒

  次に

「設い諸経の中に、処処に六道並びに四聖を載すと雖も、

法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば、

自具の十界百界千如・一念三千を知らざるなり」(二四〇頁)


――たとえ爾前経の諸経の中にも六道や四聖を説いているといっても、

法華経や天台が述べた摩訶止観という文証(鏡)に向かわなければ、

自身の生命に具わっている十界・百界千如・一念三千を知ることができないのである――とあります。


自分の生命に十界が具わっているといっても、

地獄界から天界までの六道の境涯は、社会に生きる人間である以上、

当たり前に見えるし理解できるものです。


しかし、四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)のなかでも最も現れがたいのが「仏界」です。

大聖人も「仏界計り現じ難し」(二四一頁)と言っています。


理屈では、生命のなかに一念三千・十界互具が具わっていると理解していても、

心の底から納得し、実感し、確認することは難しいのです。

大聖人も本文で、何回も「難信難解(信じがたく理解しがたい)」と述べています。


すべての人々の生命には「仏界が元来、具わっている」というのが、

釈尊の結論であり、天台の結論であり、大聖人の結論です。


しかし、それがなかなか信じられない。

いったんは信じても、何かあると不信に陥り、自分を責め、他人を攻撃してしまう。


そこで大聖人は「観心」の実践(修行)には「明鏡」が必要だと訴えるのです。

その明鏡が、釈尊の「法華経」であり、天台の「摩訶止観」であり、大聖人の境涯(魂)を顕した「本尊」です。


法華経や摩訶止観は、自分の十界にある仏界を見、それを自身の生活に現すための鏡です。


正法時代につくられた「法華経」も、像法時代につくられた「摩訶止観」も、

仏教流布の状況、文化・伝統・国民性という五義を踏まえてつくられた「明鏡」です。

それぞれがその時代の人々の「己心の本尊」を見るためには意味があったのです。


大聖人は、それらを踏まえて、末法の人々のために、

その真髄を一幅の漫荼羅に図顕し「明鏡」として残されます。


その明鏡を根本として、三つの観点から末法の修行法を確立しました。

それが大聖人の出世の本懐である「三大秘法」です。


大聖人は「観心」の意義を述べた後、一つの疑難を設定しています。

「問うて曰く、上の大難、未だ其の会通を聞かず如何」(二四六頁)


――問う、先に人界の生命に尊極の仏界が具わるということに対して、

信じがたい旨を述べ論難したのに、いまだその答えを聞いていない――というものです。


その論難とは

「仏界の中に九界があり、九界の中に仏界があるという『十界互具』の原理は理解できる。

しかし、仏の持っている『功徳・力・智慧・威光』は、あまりにも荘厳であり広大である。

そのような素晴らしい仏の生命が、普通の人間である凡夫の生命に具わるなどとは、とうてい信じられない」というものです。


これに対して、大聖人は経文(無量義経・普賢経)を引きながら、

確かに仏の持っている福徳は無量であり、智慧は深遠、力は広大であるけれども、

それらを生み出す「種子」があるのだと語りました。


法華経以前の爾前経では、仏の「功徳・力・智慧・威光」の一つ一つについて、

それを生み出す「因」の修行を説き、それを一つ一つ実践することによって、

仏と等しい無量の福徳や智慧を具えさせようというものです。


それゆえに、その実践は長い時間を必要とする歴劫修行にならざるを得なかったのです。

しかし、その「根源の種子」に目を向けるように促しているのが法華経です。


【観心本尊抄の指導原理について】11/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時52分42秒

  法華経の開経である無量義経には「無量義とは一法より生ず」とあります。

つまり、そうした無量の福徳や智慧を生み出す「ただ一つの法」が実在することを宣言しました。


そして法華経の結経である普賢経は、この「一法」から、

あらゆる仏の福徳と智慧が生じることを言及してその偉大さを称えました。


この法華経が明かしている「一法」の正体、種子そのものが、

法華経の題目・妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経であると大聖人は覚知したのです。


さらに

「答えて曰く無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云」(二四六頁)


――無量義経には「いまだ六波羅蜜の修行をしていなくても、

この経を信じ受持する功徳によって六波羅蜜は自然に具わってくる」云々――と、

経文を示して「受持即観心」の法門を明かしていきました。


受持即観心を簡潔に説明すると、大聖人が覚知した南無妙法蓮華経を受持し、

歓喜と求道心と感謝の一念をもって自行化他の実践に励むならば、

菩薩の修行の要諦とされる六波羅蜜の一々を修行せずとも、

我が生命に仏の一切の功徳や無量の智慧に満ちあふれた仏界(成仏)が涌現するということです。


これが「受持即観心」の法門です。


大聖人が「受持即観心」を説くにあたり、その依文としたのは

「是の経を聞くことを得て、歓喜し信楽し稀有の心を生じ、受持し読誦し書写し解説し説の如く修行し、

菩提心を発し、諸の善根を起し、大悲の意を興して、一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、

未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前し、即ち是の身に於いて無生法忍を得、

生死、煩悩一時に断壊して、菩薩の第七の地に昇らん」(法華経五三頁)というところです。


しかし、よく考えてみれば

「六波羅蜜」は、《布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧》の六種類の修行をいうのですが、

それを一つ一つ修行しなくても「本尊を受持」することによって仏界が涌現するとは、どういうことなのでしょうか。


そこで大聖人が生涯を通じて所持し、さまざまな注記を書き込まれた、

いわゆる「注 法華経」を見てみると、先ほど挙げた文の横に「第七封賞不思議力・標」と書き込まれていました。


これは十の功徳の第七番目ということですが「標」という字は「テーマ」という意味です。


ということは、

この「六波羅蜜」が何を表しているのかを、具体的に解明することによって

「受持」の本質がより鮮明に見えてくると思えます。


この六波羅蜜をあえて現代的に表現するとすれば、

それは「人間の条件を表したもの」と解釈できるのではないかと考えます。


「人間の条件」という問題は、古来、東西を問わず多くの思想家や哲学者が追及してきたテーマでもあります。

彼らはこの問題に対して、その答えを模索してきました。


大乗仏教にも、六波羅蜜だけを徹底的に洞察した「大乗理趣六波羅蜜多経」という経典があるくらいです。

六波羅蜜はある意味で、そうした疑問への回答書でもあると思うのです。


私たち会員に即していえば、自己の生命変革を目指す「人間革命」の実証は、

人間がどのように変化していくかということを「六波羅蜜」は示しているという意味です。


ではなぜ、そう言えるのかを六波羅蜜を通して見ていきたいと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】12/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時53分43秒

  まず六波羅蜜の第一は「布施」です。

これは大きく分けて、財や物を与える「財施(ざいせ)」と、

法を説き教える「法施(ほうせ)」と、恐怖を取り除き安心を与える「無畏施(むいせ)」の三つがあります。


布施といっても財物を与えるだけが布施ではなく、むしろ法を説き教えること、

また恐怖を取り除き安心を与えることのほうが、仏法においては、より比重を占めています。


たとえば、財物によって救えるのは、わずかの期間です。

財物自体、限られているので救える範囲も狭くなります。

飢えた人にパンを与えても、一日の命を継ぐことしかできません。


しかし、なんらかの仕事の技を教えてあげれば、その仕事によって、一生飢えないで生きていけます。

これが広い意味の法施です。


しかし、生きていくだけの技術はもっていても、

絶望に陥り、生きる気力すら失っている人々には、その不安や恐怖を取り除き、

安心を与える無畏施(抜苦与楽)が大きな布施となります。


財施はどちらかというと、依存心を増長させ、

個人の自立を奪う結果になりがちなのに対して、法施・無畏施は、自立の心と力をもたらします。


仏法がもっとも重視しているのは、法施であり無畏施です。


私たちに置き換えれば、

仏法を人に説いて折伏し、会員に講義し、指導するのは法施であり無畏施です。


御本尊を受持すれば、自然にこのような行動になっていくということです。


貴方はどうですか、このようになっていますか――。


そのなかで、もっとも尊貴で最極の布施の実践は、

寿量品の「一心欲見仏 不自惜身命」(法華経四九〇頁)です。


大聖人も

「寿量品の自我偈に云く『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云。

日蓮が己心の仏界を、此の文に依つて顕はすなり。

其の故は、寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事、此の経文なり」(八九二頁)と述べています。


つまり、大聖人のいう観心とは「不惜身命の信心」です。

大聖人が観心を成就し、その「魂」を顕した御本尊を受持し、

師弟不二の信心に立って戦っていくところに自身の成仏があるということです。


「日蓮がたましひを、すみにそめながして、かきて候ぞ、信じさせ給へ。

仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは、南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(一一二四頁)とある通りです。


こう考えていくと、修行の第一に「布施」が置かれているのも、深い意味があることなのだと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】13/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時54分37秒

  六波羅蜜の第二は「持戒」です。

持戒の戒とは「防非止悪(ぼうひしあく)」の戒とされ、

身口意にわたる悪業を断じ、一切の不善を禁制することをいいます。


本来は仏教を修行する出家者が守るべき規範として定められたものですが、

その集団生活の規律のために定められたところから、

戒といえば生活のあらゆる面にわたって束縛されるという印象が強いです。


しかし、規律であった戒も、時代が変化し、文化の違いや習慣の違い、

また状況の変化とともに、そうした戒は、そのまま実践できないものとなりました。


言い換えれば、戒は人間性にとってプラス面よりも、マイナス面をもつ結果となっていったのです。


戒律を主体とする小乗仏教が、像法や末法という時代を経て、

中国や日本に伝えられてきたとはいえ、もはや時代性に合わず顧みられなくなったのです。


しかし、これはある社会の状況下に作られたものを、違った状況の人々に、

そのまま当てはめることが間違いなのであって、戒そのものの原点に立ち返って言えば、

それぞれの状況のもとに合わせて戒が立てられるべきであると思うのです。


学会に置き換えれば、都会であっても過疎地の地区もあれば、年配者が多い地区もあります。

また、活動家の多い地区もあれば、少ない地区もあります。


さらに、飲食関係に携わる人が多い地域もあれば、農業を営む人が多い地域もあります。


それらの地区の特徴や生活環境を考慮せずに、一律に地区二十枚の民音チケット購入だの、

会合は七時から開始するのが常識だのと決められても、地域や地区によっては戸惑うことも多いと思います。


さらに、人間の心には、善の心もあれば悪の心もあります。

そう考えると、絶対に規則は必要ないとは言い切れません。


そうすると、なぜそうまでして「戒」が必要なのかという問題が出てきます。


大聖人はこのことについて、明解にその指標を示しています。


それは

「善と悪とは無始よりの左右の法なり。権教並びに諸宗の心は、善悪は等覚に限る。

若し爾ば、等覚までは互に失有るべし。


法華宗の心は、一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり。

元品の法性は、梵天帝釈等と顕われ、元品の無明は、第六天の魔王と顕われたり」(九九七頁)というものです。


つまり、仏といえども、十界を具足している一念三千の当体です。

だから四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅)の悪心も当然、具わっている。

ましてや、私たち凡夫においては当然です。


四悪趣という悪心は、本来、生命の基本的な生存本能と密接に結びついていますから、

もっとも表れやすい働きといえます。


これに対して、善心の代表である「声聞・縁覚・菩薩」などの働きは、

そうした醜い境涯から飛翔しようとするもので、強い引力に逆らわなければ直ぐに引きずられてしまいます。


この悪心に引きずられないようにすることは、絶え間ない用心と努力が必要です。


「防非止悪」の戒を持つことは、この方向性を間違わないでハンドルを操作するようなものです。

一般的に言っても、自分の意思で自らに課した義務も戒と言えるかもしれません。


現代的にいえば、自己規制が戒であり、その意味では重要な人間の条件といえるでしょう。  


【観心本尊抄の指導原理について】14/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時55分21秒

  六波羅蜜の第三は「忍辱」です。

成仏という最高の理想を目指すからには、当然それを阻止しようとする障害があります。

経文には、仏道修行をする人がいかに大きな苦難を忍び、

障害を乗り越えていかなければならなかったかが、数え切れないほど挙げられています。


その中でも釈尊が九横の大難に耐え忍んだことは有名で、

大聖人も忍辱ということを、釈尊の特質の一つとして強調しています。


大聖人自身、釈尊よりもさらに大きな大難に耐え抜いた真実の「能忍」でした。

もちろんこれは、仏法の実践に関わる問題ですが、広くいえば、

厳しき現実社会を生きていく上で思うにまかせないこと、辛いこと、苦しいことはつきものです。


それを耐えられないで、自ら命を絶つことは悲しむべきものです。

そう考えると、この社会から苦しみをもたらすものは、できるだけ取り除き、

すべての人々が人生を楽しんで生きられるように、互いに力を合わせるべきです。


互いに争い合い、いじめ合うような愚はなくすべきです。

それでも避けることのできない苦難は、人生において常につきまとうと考えたほうがいいのかもしれない。


これに耐え抜くこと、さらに自分の信ずる正義のために、あらゆる苦難に耐え忍ぶこと――

これは人間としての大事な条件です。

忍辱とは、それを教えているのではないでしょうか。


六波羅蜜の第四は「精進」です。

これは、布施・持戒・忍辱、そのあとの禅定・智慧の五つの修行を、

心身ともに力を尽くして修行するということです。


人間の生き方として考えてみれば、人間は誰でも未完成です。

喜怒哀楽に生きる生身の人間である限り、未完成はむしろ当然といえます。


宗教とは、そうした人間の微妙な感情を、ある特定の方向へ圧迫するのではなく、

その根底から生きる勇気と生命力を奮い起こさせていくものだと思います。


しかし一方で、未完成であるからこそ、向上が必要であり、向上があるからこそ人間といえるのです。


進歩と向上がない社会や組織は、弱肉強食の畜生界にも似た社会と化してしまう。

ここに常の精進が必要になってくると思うのです。


大聖人も「南無妙法蓮華経は、精進行なり」(七九〇頁)と述べています。  


【観心本尊抄の指導原理について】15/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時56分7秒

  六波羅蜜の第五は「禅定」です。

禅とは、心を一つに定めて真理を思索することです。

釈尊が苦行を捨てて菩提樹の下で瞑想に入ったのは、禅の修行の代表といえます。


天台もまた、一念三千の法を立て禅定の修行を重視しました。

このように禅定といえば、仏道修行の仕上げともいうべき重要な実践と見ることもできますが、

人間の条件としても、大切な要素の一つです。


禅定とは、人生において達成すべき目標や理想、

また生きていくうえで根本のよりどころとする「志」を持つことではないかと思います。


忍辱といい、精進といっても、明確な目標と理想、

確固たる志なくしては、挫折せざるを得ないと思います。


仮に、耐え抜いて挫折しなかったとしても、明確な目標や目的地がなければ、

迷いの人生に終始してしまうことにもなりかねません。


時々の状況に翻弄され、右へ左へと揺れ動く心の不安定さ、

どこへ暴走するか分からない危険をはらむのは、こうした禅定という指標の欠如によるものと思います。


そう考えると、禅定とは人間が生命のよりどころとするに足る仏法を持ち、

広宣流布という目標に向かって生きることだと思うのです。


六波羅蜜の第六は「智慧」です。

これは、一切の諸法に通達し、邪見を取り払って真実を正しく見極める智慧を得るということです。


仏道修行の究極の目的は成仏ですが、

仏とは「覚者」とも表現され、智慧を得た人ということでもあります。


智慧と一言でいっても、商売に成功する智慧もあれば、

経済学、政治学等の学問的智慧もあり、智慧は多種多様に存在します。


仏法でいう智慧は、その多種多様な智慧の源というか、すべての根源の智慧というか、

一切を包含した最高究極の智慧が仏の得る智慧なのです。


この智慧をインドの言葉で表現すれば「阿耨多羅三藐三菩提」となります。

 「阿耨多羅」は無上最高という意味で「三藐」は清浄で偏頗がなく一切を包含しているという意味です。

「三菩提」は正しい智慧ということです。


大聖人も観心本尊抄の中で

「天晴れぬれば、地明かなり。法華を識る者は、世法を得可きか」(二五四頁)と述べています。


人間の在り方として考えても、

智慧は古来、東西を問わず人間の基本的な条件とされてきました。


智慧によって人間は、

あらゆる現象を正しく把握し、そこに貫かれている因果の法則を究めてきました。


それによって、ある事象が起きたときに、

次にどのような事象が起こるのかを予知し、それに対応できるようになったのです。


人間が自然の驚異から身を守るためにも、

自然の力を応用して価値を創造していくためにも、智慧は重要な力になります。  


【観心本尊抄の指導原理について】16/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時56分52秒

  以上、六波羅蜜を「人間の条件を表したもの」として解釈してきました。


このように六波羅蜜を見ていくと、人間が人間らしく生きるための条件として、

じつに見事に説き示していると思います。


過去の思想や宗教は、それらのいずれかを個別に説いたに過ぎず、

六波羅蜜は、それを総合的に明示したものなのです。


しかし、もしこれらの条件の一部だけに捕らわれてしまえば、

たちまち行き詰まり、偏頗な思想に陥っていくと思います。


布施や利他のみに捕らわれたならば、

現実社会に生きる人々は、まるで奴隷のような絶望感に陥ってしまう。


また持戒のみを事とするやり方は、発展性を失い、固定化や歪曲を招く恐れがあります。


忍辱のみを強調した場合は、悪の増長を許す温床にもなり、

精進のみでは他人のことを考えず、人を踏みにじってでも、ということにもなりかねない。


禅定のみの場合、現実社会から逃避し、

独善主義に走る危険性が出てくるし、智慧のみでは人間は狡猾になる可能性があります。


こう考えていくと、本当の意味で人間らしいといえるのは、

これらの条件がその正しい「時」と「所」を得て発揮されることが大事なのだと思います。


「六波羅蜜自然に在前す」(二四六頁)とは、

妙法を受持したときに「六波羅蜜」の全体が、おのずと具わるということであり、

南無妙法蓮華経こそ、六波羅蜜の表す諸条件を、正しい調和を保って顕現させる当体であるということなのです。


この六波羅蜜を詳細に見ていくことによって「受持」という本質がより明確になってきたと思います。


大聖人は

「心の師とはなるとも、心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文ぞかし」(一〇二五頁)

との経文を引かれて「心」の在り方を強調しました。


「受持即観心」という法理は、不惜身命の信心を貫いていけば、

その信心におのずと観心が成就することを教えているのではないでしょうか。


このあと大聖人は、さまざまな「経・釈」を引いて、受持即観心の法理を論証していきます。


そして、その結論を

「釈尊の因行果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。

我等、此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(二四六頁)


――釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。

我らがこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えられるのである――と締めくくりました。


これこそ仏法の究極であり、すべての人々の成仏の根源を明快に断言された一節です。


先の文で、観心とは「我が己心を観じて十法界を見る」(二四〇頁)と明記しましたが、

その観心を成就すれば、どうなるのか――その「答え」が上記の一節です。  


【観心本尊抄の指導原理について】17/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時57分42秒

  妙法蓮華経の五字の受持によって観心が成就し、仏の因果の功徳をすべて譲り受ければ、

その人は仏と全く異なることがない生命となっていきます。


つまり師である仏と同じく、弟子である人々が、自身に具わる因果の功徳を自在に享受し、

用いる身になることができると示されたのです。


法の功徳を自在に享受する仏が「自受用身如来」です。


大聖人は、極寒の地・佐渡で法華経の行者が迫害される「因果観」を語っています。


「日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず。不軽品に云く『其罪畢已』等云云。

不軽菩薩の無量の謗法の者に、罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし」(九五八頁)


とありますが、

悪を追及していくには、その悪が大きければ大きいほど、

自身の内なる悪との闘争なしには出来ないことだと思います。

悪を追及していけば、当然その反動が返って来ます。


その内なる制止を突き抜けて、悪の追及をやり抜くには、

よほどの強い「志」がなければ実践できるものではないと思います。


大聖人は内なる悪を過去の罪ととらえ、自らの修行を「其罪畢已」と捉えました。


その罪を外なる悪を責めることによって、

受ける受難の形で消し去ることによって、

自らが法華経の行者であると証明したのです。


しかし、ここで重要なことは「其罪畢已」を必ずしも弟子たちに要求していないことです。


むしろ大聖人は「其罪畢已」にみられる因果観を乗り越えるとともに、

「彼の因果の功徳を譲り与え」という偉大なる因果観に昇華して、それを弟子たちに与えようとしたのです。


この「釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。

我らがこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えられるのである(通解)」という因果観によって、

初めて本質的な意味での「宿命転換・転重軽受」も可能とする原理が開かれたといえます。


ここに大聖人の「大慈悲」があると確信します。


「受持即観心」を述べられた後、大聖人は観心を成就できる本尊を、

いかにして顕すかについて論じていきました。


そして、末法流通の本尊を選び定めるに当たり「五重三段」が語られ、

寿量品が説かれた時の「虚空会の儀式」を本尊の相貌としたのです。


なぜかというと、南無妙法蓮華経が永遠の法であるといっても、

南無妙法蓮華経を単独で示しただけでは、単なる法華経の題名であるとか、

経典(法華経)に南無(帰命)することであるとしか受け止められない可能性があるからです。


大聖人はこの後、なぜ虚空会の儀式が「本尊の相貌」になるのかを述べていきました。


ちなみに「五重三段」を簡単に説明すると、釈尊の五十年の教法を、勝劣・浅深にして

五重(一代一経三段・法華経一経三段・迹門熟益三段・本門脱益三段・文底下種三段)に立て分け、それぞれを

「序分(教法を説くための準備段階)」

「正宗分(仏の本意)」

「流通分(仏意を広く流布)」の三段に分ける「教判」のことです。  


【観心本尊抄の指導原理について】18/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時58分30秒

  話を戻します。


寿量品では、

仏の永遠性(本果妙)、衆生の永遠性(本因妙)、国土の永遠性(本国土妙)という

三つの次元から妙法の永遠性が明かされます。


いわゆる「三妙合論」ということですが、この寿量品の説法があって

初めて永遠の法である南無妙法蓮華経を指し示すことができるのです。


本文は

「今、寿量品を説いた時に現れた本来の娑婆世界は、三災もなく、

常・住・壊・空の四劫も超え出た永遠の浄土である。

仏はもとより過去に滅することもなく未来に生ずることもない永遠の存在である。

仏に導かれる衆生も本質は同じ永遠の存在なのである。

これが己心に具足する三千諸法、三種の世間である(通解)」(二四七頁)というところです。


この寿量品の三妙合論によって虚空会の意義が明らかになりました。

つまり、仏も衆生も国土も永遠の妙法の当体であることを象徴しているのが虚空会なのです。


次に

「この本門の肝心である南無妙法蓮華経の五字については、仏は文殊・薬王らの大菩薩たちにさえ付嘱されなかった。

まして、それ以外の者たちに付嘱されなかったのはいうまでもない。


ただ無数の地涌の菩薩たちを呼び出して、

涌出品第十五から嘱累品第二十二までの八品を説いて、付嘱されたのである(通解)」(同頁)とあります。


釈尊は虚空会の儀式で根源の法である「永遠の妙法(南無妙法蓮華経)」を指し示しました。

それが釈尊滅後の「万人を救う大法」なのです。


この説法をもってすべてを説き尽くした釈尊は、すべてを受け継ぐ本物の弟子(地涌の菩薩)に後事を託します。

そしてこのあと大聖人は、本尊の相貌を具体的に述べていきました。


しかし、ここで一つの疑問に突き当たります。

それはこの本尊のことを「末法に来入して始めて、此の仏像・出現せしむ」(二四八頁)と表現しているからです。


大聖人が図顕した末法の本尊は、木像や絵像ではなく「文字漫荼羅」を本尊としているのに、

どうして「此の仏像」と表現したのでしょうか。


またなぜ、木像や絵像ではなく、文字の漫荼羅として本尊を顕したのでしょうか。


「木絵二像開眼之事」などを見れば、絵や彫刻などでは普遍的な法を表現するのは困難だと指摘しています。


つまり木像・絵像は、因果の功徳のうち「果」の表現であり、色心二法のうちの色法に過ぎない、

だから仏の心までは表現しきれないということです。


確かにそう言われると、

絵や彫刻などは、それを見た時の受け止め方が人によって違ってきます。


どうしても目に見える表現の美しさや、優雅さに目が奪われて

木像・絵像の表現に象徴された「真理」にまで思いを寄せることが妨げられることもいなめません。


しかし、心は言葉で表現することは出来ます。

大聖人も「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(五六三頁)、

「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」(一五三頁)と言っています。


木像や絵像では、南無妙法蓮華経という「因行果徳」をすべて具足した

「根源の法」を表し尽くすことはできないのです。


大聖人は、仏の滅後は文字が仏の働きをなし、民衆を救うのだと述べています。

文字を見ると、誰が書いたのか、どういう意味かと考えます。


「書いた人」「書いた人の心」へと思いが向かいます。

文字は「心へ」「因へ」と導くのに対して、木像・絵像は「果」に執着させる傾向があると言えます。


ともあれ、大聖人が「永遠の法」を顕し弘めるために「木像・絵像」ではなく、

文字で表現したことに深い意義を拝することができるのです。  


【観心本尊抄の指導原理について】19/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)09時59分17秒

  釈尊から後事を託された「地涌の菩薩」が本尊を顕すことを明かした後、大聖人は一つの疑問を設定しました。


「疑つて云く、正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや」(二五二頁)


――疑っていう。正像二千年の間に地涌の菩薩が出現して南無妙法蓮華経を流通するのか――というものです。


これに対して「流通しない」と即答します。

ではなぜ弘通しないのかという問いに「言わない」と返します。


再度「どうして」・・・・・「言わない」 さらに「どうして」と重ねて問います。

そしてなぜ言わないのかという理由を語っていきました。


「これを言えば、すべての人々が軽慢を起こし、威音王仏の末法の時のように

正法誹謗の罪で地獄に堕ち、わが弟子の中にも疑って誹謗する。だから言わないに限ると思う」(二五三頁)というものです。


それでも「求めて云く」(同頁)と、なお聞こうとします。

そして、そのような大事な法門を説かなかったら慳貪の罪に堕ちると脅しました。


そこまで言われてやっと、地涌の菩薩が正像に南無妙法蓮華経を弘めない理由を明かすのです。


その理由は、正法一千年は小乗経・大乗経が流布される時代で、民衆の機根も整っていなかった。

像法一千年は、天台・伝教が出現したけれども、

彼等は五義を知っていて「弘める時」と「弘める資格がない」ことも知っていた。


だから迹門を面とし、本門を裏として理論上で一念三千を説いただけで、

迹門の戒壇を建立したにすぎない等々――五義に照らして言及していくのです。


ここで重要なのは「時」を強調していることです。

そして大聖人は、伝教の「闘諍の時」(二五四頁) の釈を引いて、その法を弘める時は「末法」であると結論します。


「此の時、地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す。

一閻浮提第一の本尊、此の国に立つ可し」(二五四頁)


――この末法の時、地涌の菩薩が出現して、本門の釈尊を脇士とする。

全世界第一の本尊をこの国(日本)に立てるのである。

インド・中国らも未だかつてないこの本尊は出現されなかった――というものです。


「闘諍の時」の最たるものは戦争だと思います。

戦争は人々の心を引き裂き、人と人の絆を断ち切る最悪の愚行です。

しかも生命に具わる仏界を破壊することは悪魔の所業といえます。


また、正義が隠れた「白法隠没」は、民衆を不幸のどん底に追いやり生命力を奪います。

大聖人が厳しかったのは「根本・本尊」を取り違える当時の僧侶たちに対してです。


人間の生命に善悪が内在している以上、

第六天の魔王が発動する時、そのもっとも残酷な戦争が起こることを考えれば、


大聖人の末法観が「闘諍の時」「白法隠没の時」と捉え、

悪の根源を示して立正安国の闘争に突き進んだことは非常に重要なことだと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】20/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月15日(木)10時00分6秒

  大聖人はその「闘諍の時」「白法隠没の時」に、

全民衆を救うため地涌の菩薩が出現し、本尊を建立すると断言しました。


この地涌の菩薩こそ「法華経の行者 日蓮大聖人」であることは明白です。


広宣流布の起点となった日本で

「広宣流布」と「闘諍」が深く結びついていることがよくわかります。


この方程式ともいうべき指標を、大聖人は端的な言葉で表現しています。


それが

「当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、

摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(二五四頁)という文です。


この文を「時代性」と「学会幹部」に置き換えて読み解けば、どうなるでしょうか。


まず「此の四菩薩」というのは、根源の法を守り、それを弘めていく「使命の人」と捉えることができます。


時代性から読めば、大聖人の時代は「今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり」(二五四頁)とあるように、

立正安国論で予言された「蒙古襲来・二月騒動」の時です。


事実、大聖人は民衆の中に入り、正法を弘め、為政者を誡責し、弟子たちに正法を弘持しました。


それから大聖人滅後、

《正・像・末》という推移(時が経つにつれて状態が変化)をたどり、日興門流が正法を護持しつつも、

世界大戦という最悪の「闘諍の時」「白法隠没の時」に創価学会が出現し、

創価三代の仏法指導者の指揮のもと「愚王を誡責」し、世界に向かって大聖人の正法を弘めました。

これは歴史が証明しています。


ここから見えてくるものは、普遍的で根源的な法理でないものは、すべて時代とともに変化し、

力を失い、消えていく「正・像・末」の三時の変化をたどるということです。


今度は、学会幹部に置き換えていえば、

もし学会内で「愚王(愚かな指導者)」が出た時は「賢王(正義の指導者)」となって愚王を誡責するということです。

そして会員を守り、信心を教え、師匠の思想を守るということではないでしょうか。


七百年の伝統を持つ日興門流の一派・大石寺は、かろうじて大聖人の法門を護持していました。

しかし、時代の推移とともに「愚王(愚かな指導者)」が出ました。


その名は「六十七世 日顕」です。


その時「賢王(正義の指導者)」となって誡責したのは誰なのか。

会員に大聖人の法門を教え、弘持してきたのは誰なのか――。


この御聖訓の一節を身読したのは、まぎれもなく創価三代の師匠です。


その弟子という自覚があるならば、愚かな指導者や、愚かな幹部を呵責するのは当然のことです。




・・・・明日につづく。  


【観心本尊抄の指導原理について】21/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時37分16秒

  開目抄には、天台の法華文句の注釈書(東春)を書いた智度法師の

「是れ出家の処に一切の悪人を摂す」(二二四頁)を二度も引いて、僭聖増上慢の名を明らかにしました。


当時、京都で国師と崇められていた禅僧の「弁円」や、

鎌倉で生身の菩薩として崇められていた極楽寺「良観」です。


大聖人が罰論をいうことについては、

信徒や庶民に対して「罰を受ける」「それは罰だ」と言ったことは一度もないのです。

もちろん病気や事故で倒れた人に「罰だ」と言ったこともありません。


御書を注意深く読んでいくと、

大聖人が罰論を振りかざした相手は、例外なく為政者や人の師範たる僧侶に対してでした。


為政者の道理に反した政治は、内部争いを呼び起こすだけでなく、

天変地異という災害をより大きなものにします。


天変地異そのものは自然現象ですが、多くの災害は為政者の悪政が引き金となっています。


その犠牲者はいつも民衆です。


本来、罪のない民衆が、真っ先に犠牲になってしまう。

戦争の被害はその最たるものです。


これを大聖人は「総罰」と呼びました。


だから大聖人は為政者や権力者に対して、厳しい「諌暁」を断行したのです。

それと合わせて僧侶の謗法への呵責は激烈でした。


謗法の僧侶の罪悪は、単に仏法を破壊していくだけではなく、

悪知識として人々の活力を削っていき、人々を誤った方向へ引っ張っていくからです。


もっといえば、人々の生命力を奪い、権力の餌食にしてしまうのです。

だから彼らの謗法を徹底的に呵責したのです。


それに対して、信徒や民衆にはどこまでも優しい大聖人でした。

一緒に泣きながら題目をあげ、その人の生命力の回復をじっと待ち、

信徒や民衆が幸せになることを常に祈ってくれていた大聖人。


その大聖人が唯一、信徒に向かって罰を言ったのは「同志を互いにそしるな」ということでした。


「法華経をば経のごとく持つ人人も、法華経の行者を

或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり。

此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし、かへりて罰をかほるなり」(一二四七頁)というものです。


こう見ていくと、大聖人の「立正安国論」の予言は、

打ち続く災害に打ちひしがれ、さらなる不安と戦っている当時の民衆の側に立って、

その不安と恐怖によって来る「原因と正体」を明確にし解決方法を示したものだとわかります。


それは、不安をかき立てたのではなく、逆に人々に希望と安心感を与えたものでした。


だから大聖人に帰依し、信奉した人々が特定の年齢層に偏ったものではなく、

夫婦や親子を核とする家族を基盤として広がり、社会に根付いていったのだと考えます。


また「同志打ち」の争いに大聖人が厳しい態度をとったのもその表れだと思います。


【観心本尊抄の指導原理について】22/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時38分10秒

  「観心本尊抄」の最後の結論を大聖人は次のように語りました。


「一念三千を識らざる者には、仏・大慈悲を起し、

五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(二五四頁)


――一念三千を識(し)らない末法の人々に対して、仏は大慈悲を起こし、

一念三千を本尊として末代幼稚の首に懸けよう――と。


ここで大慈悲を起こした「仏」とは誰のことなのか。


この問題を「開目抄」と「観心本尊抄」を合わせて読んでいくと、その「仏」は、

法華経身読を通じて「主師親の三徳」を自ら体現した「一念三千の体現者・日蓮大聖人」ということになります。


これは今までの「釈尊観」の革命的転換といえるものです。

つまり、釈尊は遠く彼方の目標でもなく、過去の聖者でもなく、上から降りてくる救世者でもなくなり、

凡夫の私たち自身が、釈尊を体得していける「道」が大聖人によって開かれたと言えるのです。


それまでの釈尊観は、崇拝のあまり超人化され、造物主のような絶対者にまで肥大していました。


それを凡夫の身である大聖人が「主師親の三徳」を体現したことは、

それらの幻想の釈尊観を捨て、かつてインドで実在した釈尊の身の丈にまで引き戻したといえるでしょう。


もちろん「釈尊の法華経」と「大聖人の法華経」は、決して同じではなく説く法も違います。


しかし、釈尊がインド中を歩き回り、人々の悲哀の声をひたすら聞いていた姿と、

末法の混乱の世にあって、庶民の中に分け入って人々の悲哀を自らの悲哀とした大聖人は驚くほど似ています。


大聖人は

「行者、仏法を弘むる用心を明さば、

夫れ仏法をひろめんと・をもはんものは必ず五義を存して正法をひろむべし」(四五三頁)と訴えました。


ここに「行者」とありますが、これは五義を用いる「法華経の行者」が主語になっています。


また伊豆流罪期に著した教機時国抄では

「之を用いざるは外道と知るべき」

「仏教を弘むる人は」

「末代の凡師」

「仏教を弘めん人は」(四三八頁)


等々と、くどいほど「人」が強調され、


「己上の此の五義を知つて仏法を弘めば、日本国の国師と成るべきか」(四四〇頁)と締めくくっています。


つまり、五義を知る人が「国師」という社会をリードする指導者であるということです。


そして

「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者なり」(四四二頁)と示し、


五義が「法」を知る観点だけでなく「法華経の行者」が誰であるかという

「人」を知る重要な観点であることが示されました。


さらに、佐渡流罪で著した開目抄で

「三類はすでにあり、法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし」(二三〇頁)と訴えています。


このつながりを見ていくと、ここに示された原理は「師」を求める視点が「五義」に示されているといえます。


大聖人滅後において、

これらの諸御書や、特に「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の三大部を、

わが身に引き合わせ、それを自覚し、御本尊を流布し、世界に日蓮仏法を宣揚した人は誰なのか――。  


【観心本尊抄の指導原理について】23/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時38分57秒

  さて、一度ここまでのところを整理します。


天台は十如是を《法華経の根本原理》として捉え、

内観を通じて一念三千を体得することを志向したことに対して、

大聖人は十如実相を《法を弘める実践の中で五義》として捉えていたと述べました。


そして、社会に開かれた実践を通して一念三千を体得していき

「五義を知った法華経の行者」が「一念三千の体得者」であると考察しました。


そうなると、この「五義」とは何かを解明する必要があります。


大石寺・日寛の「依義判文抄」などでは、五義はどちらかといえば

信ずべき「法」とは何かを問う、視点に比重が置かれ「法」の面を重視しているように思います。


別にこれに問題があるわけではないのですが、大聖人が五義をどのように説いてきたかを見てみると、

どのような人を法華経の行者というのかという「人」の面に重点が置かれているように思います。


ということは一度、五義を「人」の面から見ていく必要があると思います。


ではそれを見ていきます。


■教を知る


古来から法華経を知る人は大勢います。

しかし大聖人は「法華経有りと雖も其の義、未だ顕れず」(四四一頁)と述べています。


法華経の実義を顕した人は、日本において

「伝教」以外にいないというのが大聖人の歴史認識です。

それは比叡山の「迹門の戒壇」です。


ここでいう「法華経の実義」とは、法華経を最第一として

法華経の卓越性を宣揚し、社会の中に根付かせることだと思います。


では、日蓮仏法を最大に宣揚し、

社会に根付かせたのは誰なのか、ということではないでしょうか。


その人こそ「教を知る人」であり、教の体現者、実践者のことだと思います。

そしてそれは、その人の振る舞いに現れます。

悩める友に心を砕き、勇気を与え、汗を流している人は誰なのでしょうか。


■機を知る


人の心や機根というものは、そう簡単にわかるものではありません。

大聖人は「凡師、機を知り難し」と言っています。まるで突き放した言い方です。


しかも機を知る方法は具体的に何も述べていません。


しかし、釈尊がそうであったように、大聖人がそうであったように、

創価三代の師匠がそうであったように、民衆の中に分け入り、庶民の苦悩に耳を傾け、

同苦していく実践のなかで、おのずと人々の機を体得し、人の心がつかめるようになっていくと思います。


「機を知る人」とは、多くの民衆の心をとらえて揺り動かし、

その人に信心の自覚を呼び起こせる人ではないでしょうか。

 

【観心本尊抄の指導原理について】24/30 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 1月16日(金)08時39分43秒 ■時を知る 大聖人は「正・像・末」の三時を示して 「妙法蓮華経広宣流布の時刻なり。是時を知れるなり」(四四〇頁)と結論しています。 世の中が濁り、人々が生命力を無くしている最悪の今、 この現在こそ広宣流布の時であると認識することだと思います。 今この時に、志を立てて広宣流布の運動に参加するという自覚です。 透徹した志というものは、他者への同苦から生まれるものだと思います。 末法という時代に、地涌の菩薩が民衆という大地から立ち上がってくるのは、 痛みを共有できる機縁が満ちているからだといえないでしょうか。 逆に言えば、他者の痛みに同苦することがなければ「志」も立ちません。誓願も起こらない。 時とは、同苦の機縁であり、志、誓願、決意を起こして立ち上がり、広宣流布に驀進する人だと思います。 ■国を知る 法華経が普遍的な法である以上、この法は日本だけに留まるものではありません。 その国の文化や社会から法華経と共鳴する部分を掘り出し、そこを強調していくことではないでしょうか。 その普遍性とは、人間の中に内在する仏性だと思います。 アメリカやアラブにも文化の違いはあれど、同じ人間が生活しています。 その国の文化に通じて、その文化に生きる人間に焦点を当てて、法華経に共鳴する部分を示して、 その国の広宣流布への機縁を作っていける人――これが国を知る人ではないかと思います。 ■教法流布の先後を知る 流布の「先・後」とありますが、一つは仏教伝来の歴史だと思います。 仏法が流布される過程で、どのような変化を遂げ、伝えられて来たのかを知ることは非常に重要なことです。 冷静にその歴史を見ていくと、 広宣流布は決して一代で完結するものではないということが分かります。 そして何より大事なことは、誰を師(先)として、誰に法を伝えていく(後)のか、という伝持の一点です。 これを見定めていかないと確たる生き方はできないと思います。 「教法流布の先後を知る人」とは、師弟に生きる人ではないかと思います。 以上、五義を「人」という面から見てきましたが、 これは「師」を求める視点であるとともに、本物と偽物の指導者を見分ける視点でもあると思います。

【観心本尊抄の指導原理について】25/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時40分29秒

  それでは、そろそろ最後のまとめに入っていきたいと思います。


「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」の三大部を研鑽して思うことは、

日蓮大聖人が末法の世に出現した目的は、民衆を幸福の軌道に導きながら、

三大秘法の確立と広宣流布の原理を万人に示すことであったということは明白です。


いわゆる大聖人の「出世の本懐」というものです。

これを最後に考えていきたいと思います。


まず、

「法華行者逢難事」は三大秘法の名目を示し「聖人御難事」は出世の本懐を示し、

ともに法華経の行者の「受難」を示しています。


法華行者逢難事に

「天台・伝教は、之を宣べて、本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう」(九六五頁)とあります。


これは天台・伝教がいまだ弘通していない「法」があり、

それは「本門」の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経であると断言します。

そして、その理由を五義に寄せて解説しました。


また法華取要抄には

「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。

答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(三三六頁)


――釈尊滅後、二千余年(正法・像法)の法華経の行者が残した秘法は何か。

答えて言う、本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法です――と明示しました。


ここで気付くことは「本門」ということを強調していることです。

これは「本迹相対」の立場から述べられたものと思いますが、この「本門と迹門」は「質の違い」と取ることもできます。


大聖人の三大秘法を理解していくためには「質的」な意味で、

迹門に位置する釈尊・天台・伝教の「出世の本懐」と比較していけば分かりやすいと思います。


まず、釈尊の出世の本懐は「法華経」ですが、釈尊はその心を人の「振る舞い」で表現しました。

大聖人は本門の立場から、法華経に貫かれた永遠の法を導き出し「南無妙法蓮華経」と名付けました。


天台の出世の本懐は、摩訶止観で説かれた「一念三千」です。

これを本門の立場で「南無妙法蓮華経の本尊」として捉えなおし、大聖人滅後の万人のために、

天台の出世の本懐を、さらに昇華させた形で全民衆が根本尊敬する明鏡として「文字漫荼羅本尊」を顕しました。


しかもその最大の特徴は「人と法」が一体となった境地が図顕されているということです。


「日蓮がたましいをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(一一二四頁)

と述べているように、大聖人は三類の強敵として襲いかかってきたあらゆる魔性に打ち勝ち、

竜口の法難の時に《永遠の法と完全に一体となった境地を成就》したその「魂」を一幅の漫荼羅に図顕しました。


大聖人のいう「本尊観」は、法華経の行者を「師匠」と仰ぎ、

明鏡の漫荼羅本尊を拝す――この二つ《人法一箇》があって初めて「本門の本尊」が成立するのです。


そしてその本門の本尊を受持するとは、師弟不二の信心に立って明鏡を拝すということです。


師匠のいない信仰は、本門の本尊を受持したことにはなりません。

そして、この明鏡を拝し「受持即観心」する実践法を「本門の題目」と名付けました。  


【観心本尊抄の指導原理について】26/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時41分24秒

  自身の生命に仏界があることを疑わず、人法一箇の御本尊を信じ、

その明鏡に向かって唱題行を実践し、他の人々にそのことを教え導いていく折伏行を実践する。


これが本門の題目の実践です。


「末法に入て今、日蓮が唱る所の題目は前代に異り、

自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(一〇二二頁)とある通りです。


ここに至り

「本門の本尊(人法一箇の明鏡)」と「本門の題目(仏道修行)」は、

佐渡期に成就したといえるのではないでしょうか。


伝教の出世の本懐は、法華経を根本とした「迹門の大乗戒壇」です。

これは法華経の思想を基盤として人材育成をしていく場所、今でいえば学府(大学等)のようなものです。


当時の日本において、正式な「僧侶」になるためには、国家認定の資格が必要で、

資格を認定する「戒壇堂」は、全国で三箇所(奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺)だけでした。


法華経を最上第一とする伝教は当然、奈良の八宗・十宗の思想とは相容れない存在でした。

そこで伝教が開いた「比叡山・延暦寺」を僧侶の資格認定が発行できる戒壇堂にしようと奔走するのです。


伝教の仏教思想を示した「山家学生式」の冒頭で

「国の宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す」と述べています。


国の宝とは何か。宝とは、道を修めようとする心である。

この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝であるという意味です。


そして「比叡山で得度(出家)した者は十二年間、山を下りずに修行させ、修行を終了した者は、

その適性に応じて後進の指導にあたり、社会のリーダーとして活躍させたい」と主張するのですが、

国家はなかなかそれを認めませんでした。


そして、伝教の「大乗戒壇の設立」を国家が正式に認めたのは、

八八二年・伝教の死後七日目にしてようやく許可されたのです。


ここに伝教の出世の本懐である「迹門の大乗戒壇」が成就するのです。


大聖人も報恩抄で「伝教は、比叡山に大乗の戒壇をすでに立てた。

内証の悟りにおいては、皆と同じであるけども法の流布においては、

正法時代の弟子や像法の天台よりも伝教は優れている(通解)」(三二八頁)と、伝教の功績を認めています。


また大聖人も伝教と同じく「三大秘法禀承事(一〇二二頁)」の中で、

人材育成を目的とする学府も本門の戒壇の一つであると言及しています。


しかし

「問うて云く、末代初心の行者、何物をか制止するや。

答えて日く、檀戒等の五度を制止して、一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを

一念信解初随喜の気分と為すなり。是れ則ち此の経の本意なり」(三四〇頁)


と語っていることから考えると、

まず、南無妙法蓮華経と唱え、本尊を受持することが肝心だといっています。


つまり「受持即観心」――これが大聖人のいう「本門の戒壇観」だと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】27/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時42分11秒

  教行証御書には

「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり。

此の五字の内に豈・万戒の功徳を納めざらんや。


但し、此の具足の妙戒は一度持つて後、行者破らんとすれど破れず。

是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し。

三世の諸仏は、此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給う」(一二八二頁)とあります。


末法における真実の「戒」は、自行化他の南無妙法蓮華経を持つことであり、これを「金剛宝器戒」といいます。


しかも一度この「戒」を持てば、たとえ持った人間が破っても絶対に消えることはない。

すべての三世の諸仏は、南無妙法蓮華経を受持という「戒」によって仏になったというものです。


このように認識していくと、大聖人の「出世の本懐」が明確に見えてくると思います。


聖人御難事には

「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。

其中の大難申す計りなし、先先に申すがごとし。余は二十七年なり。

其の間の大難は各各かつしろしめせり」(一一八九頁)とあります。


ここで、釈尊・天台・伝教の出世の本懐を語りながら、大聖人自身の出世の本懐については何も言及していません。


しかし「余は二十七年なり」という言葉は、立宗宣言より二十七年目にして、

出世の本懐である「三大秘法」を成就したという意味になります。


ではなぜ、この時を三大秘法の成就と見たのでしょう。


ここに「其の間の大難は各各かつしろしめせり」

――出世の本懐まで大難が打ち続いたがそれを乗り越えてきた。

そのことは弟子たちがよく知っていることである――とありますが、


弟子たちもそのことをただ知っているだけでなく、佐渡の法難の時期、

多くの退転者を出すという悲哀を師匠と共に乗り越えてきました。


そして佐渡にいた大聖人のもとには、

主体的に集ってきた新しい門下が誕生し、彼らも受難を乗り越えています。


四条金吾が受けた難、池上兄弟が受けた難、下山の日永の受けた難、

数えきれないくらいの多くの大難がありましたが、弟子門下はそれをすべて乗り越えてきました。


「各各かつしろしめせり」とはそういう意味だと思います。


その信心の波動は、大聖人が身延山へ入ってからも止まりませんでした。


そして、門下が主体的意志で難を受けた最大の出来事が「熱原の法難」だったのです。  


【観心本尊抄の指導原理について】28/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時42分56秒

  熱原の無名の庶民たちは、おそらく大聖人と会ったことはなかったと思います。

しかし、大聖人の弟子を通してこの「大法」を知った。


農民信徒二十人が妙法を持ったがゆえに、

事実無根の罪を着せられて逮捕・連行され、十七人が追放、三人が殉教――。


無名の庶民が、大聖人の説く「自行化他の南無妙法蓮華経」を命懸けで護ろうとした。


強大な権力者にどんなに脅されても「南無妙法蓮華経」を手放そうとはしなかった。


それは破ろうとしても破れぬ不動の「金剛宝器戒」が民衆の胸中に根付いた瞬間だった。


大聖人は、無名の庶民二十人が、異体同心の団結と不退転の心で、不惜身命の実践を貫く姿を見、

その大難を乗り越え、信心を貫き通す姿を目の当たりにして、三大秘法の成就を確信したのではないでしょうか。


その証拠に、熱原三烈士の心は、現代に生きる同志の心の中に流れ、熱い血潮となって燃えています。


大聖人と師弟不二で戦った弟子たちの信心や、熱原三烈士の「殉教」の精神は、

時を超えて、創価三代の師匠に受け継がれています。


この事実から、崩れざる「本門の戒壇」は、すでに熱原法難期に成就していたと確信します。


歴史的に見て「本門戒壇の建立」は、日蓮門下の大きな指標として掲げられ、

広宣流布を目指す大きな目標のシンボルになっていました。


大きな歴史的意義としては、それはそれで価値があったと思います。

それが広宣流布を目指す熱き信心の波動を起こしてきたという歴史的事実は消えることはありません。


しかし、時代は流動し変化の様相を呈して、いよいよ新時代の二十一世紀に入りました。


冷静に歴史を眺めれば、時の政権や権力者に左右される戒壇観は、その時代における歴史的産物でしかありません。


そんないつ崩れ落ちるかわからない建造物が、大聖人の考える戒壇観であるはずがありません。


比叡山の戒壇はたびたび焼かれています。

また、一国に限定した戒壇観も普遍性に欠けます。


そのように、いつかは壊されてしまうような建物や

「特定の場所に縛られた」戒壇観は「本門」においては乗り越えるべき問題です。


そう考えると、

戒壇堂という建物に集約された歴史的な「戒壇論」は、

二十一世紀の今日、その歴史的使命を果たし終えたと思います。  


【観心本尊抄の指導原理について】29/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時43分42秒 編集済

  大聖人は、三大秘法の教義書を完成させるために生涯を費やしたのではなく、

三類の強敵と戦いながらも、すべては万人を救うという「大願」に生涯を捧げました。


身延期の大聖人の焦点は、万年に向けて弟子を全力で育成することでした。

自身亡き後、未来に生きる民衆が幸福になっていくために、全精魂を注いで手を打っていたと思います。


身延期に著された御書を詳細に見ていくと、

大聖人のいう「功徳と罰」は、法華経という「法」に則して示されるより、

むしろ「法華経の行者・日蓮」という「人」に即して語られることが多いように思います。


これは、なぜなのでしょうか。


一例の御文を挙げると

「日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に、

軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん」(九七四頁)というものです。


仏法といっても深い触れ合いがなければ、その心は理解されることはないのだろうと思います。


広宣流布という実践をしない人間が、それを実践している人間に会い、

その人が書いた著述を読んでも、その心までは読めないし、わからないのと同じです。


ましてや、たまたま法華経という経典に触れたとしても、我が身の謗法を認識することは稀です。

それだけでは悪心の人が信心を実践し体感しようとする信仰心は起こらないと思います。


しかしその仏法が、具体的に一人の人間に体現されて現れたとなると、

そこにはじめて反発や共感といった感情が芽生えてきます。


言ってみれば、仏法は人間関係の打ち合いの中で発動するものではないかと思います。


実際、大聖人という人格が現れた時、偽者は仮面をはがされ、人々は反発しました。

創価学会も同じく、三代の師匠の人格が現れた時に、大いなる反発がありました。


「今日本国・上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。

此の悪心の根本は、日蓮によりて起れるところなり」(一一四二頁)という表現も決して大げさではないと思います。


しかしその悪心や反発も、大聖人という人格との打ち合いの中で、その反発がいつしか大聖人への共感へ、

信頼へと変わり「法華経」への信仰心に変化していきました。


そして弟子となり檀那となったのです。  


【観心本尊抄の指導原理について】30/30  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 1月16日(金)08時45分51秒

  大聖人がこの法門を説くことで自身に迫害が起こることは初めからわかりきっていました。


しかしその逡巡を突き破ったものは、

悪世末法に生きる民衆の同苦であり、民衆を救いきろうとする「大誓願」でした。


そして、自身滅後の人々のために残したのが「漫荼羅本尊」だったのです。


そこには法華経(南無妙法蓮華経)を体現した日蓮大聖人の姿が表示されています。

また、大聖人が法華経の「功徳と罰」の表示として語った「鬼子母神・十羅刹女」が配されています。


さらに重ねて、十羅刹女の誓願の言葉である「頭破作七分」の文や、

功徳の標示として「法華文句記」巻四下の「福過十号」の文が記された本尊も少なくありません。


漫荼羅本尊を信仰の根本としてきた日興・富士門流では、

書写本尊に「頭破作七分」「福過十号」の文を不可欠としてきたことは、

大聖人の「功徳・罰」の捉え方からいって信仰上、ごく自然なことだと思います。


「功徳・罰」の強調は、大聖人の慈悲の現れであり表現です。


まさに日蓮大聖人滅後においては、生前の大聖人においてそうであったように、

今度はこの「漫荼羅本尊」を縁として「功徳と罰」が語られ、反発と信仰が形成されていくことになるのです。


後は私たち弟子が、それを忍耐強く進めていけるかどうかに

大聖人の目指した「広宣流布」の実現があるのだと思います。


「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外、未来までもながるべし。

日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(三二九頁)という一節は、


日蓮大聖人の絶叫にも似た大慈悲の決意であり、恩師に捧げた誓願(師弟不二)の誠だと確信します。


最後に、池田先生が「広宣流布記念の日」に、

若き友に贈った「青は藍よりも青し」の一節を抜粋して終ります。


日本に仏教伝来し 七百年にして


太陽の如く 大聖哲出ず


それより七百年して 不思議なる会生まれる


正法の広宣の波は 今ここに西漸


アジアの そして世界の海辺を洗い始む


今まさに 妙法という


生命至上の 大なる光明は


青き地球を 包みゆかんとするか


その広布の 大河の流れが


歴史の必然であるか否かを


君よ 問うなかれ


汝自身の胸中に


自らの汗と労苦により


広布を必然たらしめんとする


情熱のありや無しやを 常に問え


                合掌 桂冠詩人 一九八八年三月九日。


                             ― 完 ―  


宿坊の掲示板より

 

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