創価三代会長と鳩摩羅什について

【創価三代会長と鳩摩羅什について】1/4  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月28日(日)16時30分2秒 編集済

  うららさんの質問

①今年年頭の池田先生のお歌にあった「普賢」についておしえてください。

②読みとるための心得みたいな、ひとことヒントで結構です。


とのことですが、まず「御義口伝」には何と書いてあるのか見てみましょう。


御義口伝に曰く

「普とは諸法実相迹門の不変真如の理なり。

賢とは智慧の義なり本門の随縁真如の智なり」(七八〇頁)


――「普」とは、諸法実相であり迹門の不変真如の理のこと。

  「賢」とは、智慧の義であり本門の随縁真如の智のこと――とあります。


「普賢」については池田先生も《法華経の智慧》で指導されていますが、

迹門の不変真如の理とは「原則論」です。

また、本門の随縁真如の智とは「価値創造」のことです。


原則論がなければ、いいかげんになって崩れてしまう。

原則論だけ振り回していては、硬直してしまう。

その両方を堅持できるのが「信心」です。


そして、この普賢の「智慧」を如何なく発揮し、

その原則論ともいうべき「経典」の元意を踏まえつつ、

現代に縦横無尽に展開し、価値創造していったのが、

創価三代の師匠と、不朽の名訳者といわれた鳩摩羅什(くまらじゅ)です。


まず、読みとるための心得とヒントを話す前に、鳩摩羅什のことを話させていただきます。


今から千数百年前、

全中国に仏法研学の大きな潮流を巻き起こした「鳩摩羅什」という訳経僧がいました。


羅什は、不朽の名訳といわれる「妙法蓮華経」を訳した人物ですが、

彼の人生を研鑽していくと非常に心を打たれるものがあります。


鳩摩羅什の魅力の一つは、釈尊の偉大な思想を一生をかけて研鑽し、

持てる才能を発揮して、中国に仏教の真髄を伝えようとした情熱にあります。


艱難辛苦の末に、彼が中国の長安へ入ったのは、五十歳を過ぎていたといわれています。

そして彼が青年時代から目指し続けてきた戦いは、その時から始まりました。


【創価三代会長と鳩摩羅什について】2/4  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月28日(日)16時30分53秒

  それまで、勉強に勉強を重ね、力をためにためていたかのように、

怒涛の勢いで翻訳事業が始まりました。


中国の僧侶も、羅什の長安入りを伝え聞いて、

続々と彼のもとに結集し、一大教団をなしていったのです。


羅什が亡くなるまで、八年間とも十二年間ともいわれていますが、

その間、三百数十巻もの経典が翻訳されており、

一ヶ月に二巻ないし三巻という驚異的なペースであったと想像できます。


それは、翻訳という言葉から受けるイメージとは異なった、

生き生きとした仏教研学運動であったことを象徴しています。


羅什が訳したさまざまな経典の序によると、

その翻訳の場には、あるときは八百人、あるときは二千人というように、

数多くの俊英が集まっています。


その聴衆を前に、羅什は経典を手に取り、講義形式で進めていったのです。


そして、なぜそう訳すのか、その経文の元意はどこにあるのかを話し、

ある時には質疑応答のような形式をとりつつ、納得のいくまで解読していきました。


書斎に閉じこもり、辞書と格闘し、

自分一人で何十年もかかって難解な訳をするのではなく、

大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場で仏法を展開していったのです。


だからこそ、羅什は、あれほどの名訳が生まれたのではないかと思うのです。


一般的に羅什の訳は、非常になめらかで、

経典の元意をふまえた意訳に優れたものだと言われています。


仏法は、それがいかに優れたものであっても、難解であれば、

人々から離れたものになってしまいます。


人々と語り、生活の中で実感するなかに、思想の光りは輝いていくものだと思います。


もし、この羅什教団ともいうべき人々の仏典流布の活動がなければ、

後の天台、伝教の昇華へと、仏法の歴史が展開することはなかったでしょう。


それを考えると羅什の功績と使命は偉大であったと思います。


大衆の中に入り、大衆とともに語り合うその振る舞いに、仏法研学の真実の姿があると思います。


ある意味で私たち会員も、現代における羅什の立場にあるといえます。


羅什は、インドから中国へと経典を翻訳しました。


私たち会員は、七百年の不滅の末法の経典を、

現代という時代に、生き生きと蘇らせる使命を担っています。


それを率先垂範で実践し、弟子たちに身をもって教えているのが創価三代の師匠です。


【創価三代会長と鳩摩羅什について】3/4  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月28日(日)16時31分38秒

  私たち会員の教学研鑽もまた、羅什と同じ方程式に則り、

御書という経典を手にし、講義形式をとり、ある時は質疑応答の形式をとり、

ある時は個人指導の際に、人々の呼吸を感じながら、対話の場で仏法を展開していくのです。


仏教の創始者である釈尊も、その生涯は庶民の苦しみに寄り添い、

人生の苦との対決のなかから、珠玉の如き教えが残されていきました。


八万法蔵といい、五時八教といっても、精密に体系付けた教理を、

カリキュラムに沿って釈尊は説法していったのではありません。


釈尊の説法は、貧苦にあえぐ庶民への激励であり、

病に苦しむ老婆を背負う思いの同苦の言葉であり、

精神の悩みに沈む青年への温かな激励の教えでした。


差別に悩み、カースト制度に苦しむ大衆の側に立った火のような言々句句が、

その一生の教化を終えてみれば八万法蔵として残っていたということなのです。


それは、経文が徹底して問答形式で説かれていることに象徴的に表れています。


庶民と対話し、行動の中に釈尊の悟りの法門が迸(ほとばし)り出て、

それが経典としてまとめられていったのです。


日蓮大聖人も、同じ立場を貫かれています。


あの膨大な御書も、生涯、激励の日々のなか、民衆一人一人との対話を続けられ、

朝に夕に救済の手を差し伸べられた結晶です。


大聖人も決して書斎に閉じこもって御書を著したのではありません。

戦いながら書き、語り、書き、語られながら戦われたのです。


仏教は、その誕生からすでに、実践のなかに生き、

民衆の中で生き生きと語り継がれてきたのが、正統な流れであると思います。


御書には

「行者、仏法を弘むる用心を明さば、夫れ仏法をひろめんとをもはんものは、

必ず五義を存して正法をひろむべし。五義とは、一には教、二には機、

三には時、四には国、五には仏法流布の前後なり」(四五三頁)とあります。


これは、仏法を弘めていく心得として、

五つのことを配慮して弘めていきなさいという意味です。


【創価三代会長と鳩摩羅什について】4/4  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月28日(日)16時34分39秒 編集済

  この中に「機」とありますが、これは民衆の機根ということです。


相手に今、何を教えればいいのか、何が必要なのか、何を望んでいるのか、

何が聞きたいのか、ということをよく熟慮して進めていきなさい、ということです。


しかし、大聖人は一方で「末代の凡師、機を知り難し」(四三八頁)とも述べています。

つまり末法の仏法指導者は、民衆や会員の機根を知らない、と突き放した言い方をしています。


確かに、人の心や機根は、簡単にわかるものではありません。


大聖人は、次に

「但し、機を知らざる凡師は、所化の弟子に一向に法華経を教うべし」(同頁)とも述べています。


民衆の、また会員の機根をわかるには、毎日毎日、人と会い、対話を重ね、

何回も何回も仏法を説き、折伏し、精神の啓蒙運動という実践がなければ、

人の心、機根などわかるわけがありません。


つまり、私たちで言えば、民衆の中へ入り、会員の中へ入り、会員とともに悩み、

人々の心のヒダに触れていけば「機」は自然に体得できるようになるはずです。


もちろん凡夫ですから、時には失敗することもありますが、繰り返し、繰り返し、

民衆の中で共に悩み、苦しみながら、やがて人の心がつかめるようになってくるのではないでしょうか。


「所化の弟子に一向に法華経を教うべし」とは、

会員の話をよく聞け、また、会員がいるから幹部は成長できるのだということです。


その熾烈な訓練の実践で培った自身の言葉が、相手の心に安心を与え、

納得を与える声になっていくのだと思います。


その意味で「読みとるための心得」とは、自分の境涯革命しかないと思います。

訓練・鍛錬に尽きると思います。簡単ですが、以上です。


最後に、私の座右の銘を記して終わります。


人は理想に向かって


    進む時に輝き


 使命を自覚して 鍛錬する時に


        大いなる向上を遂げる



                      ―― おわり


宿坊の掲示板より