鍼灸小説 一遍斎のつぼに聞け!

源草社 TAO 鍼灸療法バックナンバーより。


第一話


  「肩痛ハ脾保両腎ヲ刺ス可シ」  肩凝り腰痛の治療でどのツボを使うか? その答えによって、鍼灸師の実力のおおよそは分かってしまうという。私の師事する一遍斎翁の肩凝りに対する答えは上の一言であった。  一遍斎翁と出会えて早3年、この間多くの事を学び、私の鍼灸の腕はそれまでとは格段に差がついていた。この師に出会えたのは僥幸というしかない。  この喜びを自分だけの胸にしまっておくのも、もったいなく、一遍斎翁の技術を少しでも多くの人に伝えられたら、と請われるままに筆を取ったが、まずは私と翁との出会いを語らねばなるまい。

 
脱サラして鍼灸師を志したは良かったが、鍼灸学校でも、様々な勉強会に行ってみても、これだというものに巡り会えなかった私は、自分の鍼灸に対する思い入れが空回りし、というよりも当初考えていた鍼灸師像というものが、どんどん壊されていく事に日々焦りを感じていた。  多分若かったせいだろうが、私の考えていた鍼灸師というものは次のようなものであった。病んだ人苦しんでいる人に手を当て、安心させ、鍼を打つことで、とにかく苦痛を取り除く。決して金儲けのために甘いことを語って患者さんを何度も来させるようなことはなく、輸血が必要な患者以外ならとりあえず何とかしてみせるような人物像、それが私の思い描く鍼灸師であった。


だが、世の中はそれほど甘くはない。研究会を主宰している先生を訪ねてみても、お金を取られるばかりで、「これは凄い、この先生ならついていこう」というような先生は残念ながら出会うことはなかった。また、実力はありそうだが、人間的に尊敬できないタイプ、先生に直接習えるようになるまで何年も下積みが必要な前近代的な教え方をしている治療院、先生はすばらしいが取り巻く人々に問題がありそうな所、既に高齢になられ、教えを請える状況ではなかった先生方等々、縁がないと言えばそれまでだが、心動かす鍼灸師の先生が私の前に現れることはなかったのである。

 

 世の中には、どんな患者でもいっぺんで治してしまう治療家が居ると云う。超能力や特異能力でなく、地道に身に付けた鍼灸の技によってそれを可能にした希代の名人達がいる。  戦後の一時期から昭和という時代、名人と呼ばれる鍼灸師が全国各地にいたようだ。


有名な所では 八木下勝之助師、「一本鍼」と言われた経絡的治療の柳谷素霊翁、沢田流の沢田 健師、お灸の深谷伊三郎師、麻布の一等地で政治家や芸能人を相手に華佗鍼を巧みに操り治療をしていた堀切龍太郎師、あるいはそうした方達の門弟達。そんな名人についてその技を学びたい、伝統を受け継ぎたいという漠然とした気持ちを捨て切れずにいた私の前に現れたのが一遍斎翁であった。

 

 温泉場を中心に全国を行脚し、“流しの鍼灸師”として知る人ぞ知る針谷一遍斎翁。この一遍斎翁の事を初めて聞いたのは、昭和63年の頃である。一説には剣豪、針谷夕雲の血を引くとも噂のある針谷一遍斎翁は、俗塵にまみえることを嫌い、天地を明堂として住処とし、漂泊の日々を送っているという。都市部を避け、戦後間もない頃より、高度成長によって過疎化していく山間の無医村や、逗留先の温泉地で、請われるままに治療をし、また去っていくという。

 
私がこの「一遍斎」という冗談の様な名前を聞いたのは偶然の事だ。  温泉好きの私は、たまたま訪れたとある田舎の温泉地のマッサージ師から、不思議な話を聞いたのである。  

 

実は、私は自分が鍼灸師でありながら、温泉地や旅先で、よくマッサージ師や鍼灸師を呼んでは治療をしてもらうというあまり誉められない趣味があるのだ。私の背中を揉んでいるうちに、その未だ若いマッサージ師はこんな話を始めたのである。

 

「お客さん、僕なんかこうして30分とか40分とか揉んでなんぼじゃないですか。そりゃ、この仕事に誇りを持ってないわけじゃないですよ。でもねえ、去年この温泉に来ていた、年寄りの鍼師、あの人は凄かったですよ」

 

「へえ、何が凄かったんです?」

「いやあ、僕、実は鍼灸師の免許も持ってるんですけど、マッサージのが金になるし、第一、鍼なんかたいして効きやしないと思ってたんですよ」

「はあ、なるほど、そんなもんなんですか」

と、私はあくまでもとぼけて聞いていた。

「とにかく、痛いところに鍼を刺さないんですよ」

「へえ、それで治るんですか」と私。

「いやあ、三叉神経痛っていいましてね、こう、顔のこの辺から三つに分かれてる神経があるんですけど、こいつが痛んで口の開かなくなっちまったおばさんがいたんですね」

「ふ~ん、それでどうしたんです」

「普通は三叉神経痛とか、顔面神経麻痺とかは、たいてい顔に鍼を刺すもんなんですよ」

「ええ、ええ」

自分でもそうするだろうと思いながら私は聞いていた。
「それが、その年寄りの鍼灸師はおばさんを見るなり、横になれっていってお腹を出させたんです。それで腹に何本か鍼を打つと……」

「腹ってどの辺に打ったんですか」

私は自分の身分を隠していたために

「どのツボを」と聞くことが出来ないことを悔やみつつ尋ねた。

「いやあ、まあ、お腹にもツボってやつはあるんですけど、普通はそういう場合顔なんですよ。ところがその先生は、期門っていうこの辺にあるツボと胸の真中、それにお臍の下にあるツボをつかって、そのおばさんの顔のゆがみを一発で治しちゃったんですよ。それだけじゃないんです」  

 

そう言って、マッサージを続けながら、彼はその年寄りの鍼灸師が、そのおばさんの口コミでやってきた、十数人の様々な症状の患者さんを次々と治してしまった話を続けた。その中には膝が痛くて何年も90度以上曲げることが出来なかった宿屋の女将や、正座どころか胡座もかけなかった農家のおじさん、腱鞘炎で困っていた板前さん、高熱を出していた小学生、生理痛で寝込んでいた女性などもいたという。

 

「とにかく、いっぺんなんです。いっぺんでみんな治っちまったんですよ」

「いっぺん」「いっぺん」と、そう何度も繰り返したマッサージ師の言葉が私の頭から離れなかったのである。

   
この針谷一遍斎の話を聞いたのは一度だけではなかった。温泉に行くのを唯一の趣味にしていた私は、以来、幾度となくこの謎の年寄りの鍼灸師の話を耳にしているうちに、一遍斎翁の不思議な魅力に取り憑かれていた。いつしか一遍斎翁の足跡を訪ねては、なんとかして翁と連絡を取り、一目会ってみたい、出来たら弟子にしてもらいたいと思うようになっていた。  

 

そうして、仕事の合間をぬっては、一遍斎を探し求めて7、8年という歳月が一気に過ぎたのである。  そんな伝説の鍼灸家、針谷一遍斎翁と、北関東の湯治場で初めて出会った日の事は、昨日のように思い出すことが出来る。
その話は次回に譲ることにしよう。(つづく)

第二話

 
  その日、師を探し求めた私の旅はついに終わろうとしていた。  よくある温泉旅館の一室で、私の目の前に座っている端正な老人は、年の頃80は過ぎていると思われるが、妙に肌の艶もよく、背筋もピンとしている。眼光は一見鋭いとは云えないが、じっと見つめられると、全てを見透かされそうな、吸い込まれそうな硬いものがあった。とは言え、威圧的な感じはまるでなく、全体的にはどこか非常に懐かしさを感じさせる爺様である。

 

「わしゃあ、おぬしの思っているようなたいそうなものじゃあないよ」  未だ修業中の鍼灸師である旨を告げ、是非先生の弟子にしてもらえないかと訪ねていった私を子供を見るような目つきで眺めながら、翁は口を開いた。


「わしが、なんで一遍斎と呼ばれているか知っとるかのう?」 「どんな病気も一遍で治してしまうからではないですか」 「若いの、そんな治療家がいるわけはなかろう。確かにワシは多少は鍼灸の心得がある。だが、そんなもんは、ほんの手慰みのようなもんでな」 「手慰みだなんて、そんな、先生のお陰で助かったと云う人がたくさんいるじゃありませんか。そうした人たちが、口を揃えて先生に鍼してもらったらいっぺんで病気が治った、と言っているんです。

 

だから、いつのまにか先生は一遍斎と呼ばれるようになったのではないですか。」 「いやあ、若いの、慌てるでない、ワシが一遍斎と呼ばれるようになったのはだな、ワシがとおり一遍の治療しかせんからじゃよ」 そういうと、一遍斎翁は、茶を一口啜り、再び口を開いた。そんな言い方はないだろうと思いながら、何とか一遍斎の弟子にして貰いたい一心の私は、黙って翁の次の言葉を待つしかなかった。


「なあ、若いの」 「はい、何でしょうか」 「おぬし、なんで鍼灸師になった?」  そう言って一遍斎は私の目をじいっーと覗き込んだ。  

 

力のある、嘘をつくことを許さない目であった。 「人の為に何か役に立つ職業に付きたかったからです」  嘘ではなかった。鍼灸師を志したとき、確かにそうした考えが私には有ったからだ。  けれどもそんな答えでは、この一遍斎翁の深い瞳を納得させるものではなかろう事が私には分かっていた。

 

「“人の為”と書いて“偽り”と読む」 一遍斎翁は静かにそうつぶやいた。  

 

私は絶句してしまった。  漢字を書いてみるまでもない。確かに考えてみれば「人の為」と言う考え方ほど、おこがましいものはない。正確に言えば「人の役に立ちたいと考えている自分の為」であって、人生はあくまでも自分がどうしたいかでしかないのだ。 


「若いの、人間はな、人の為になど生きられんのじゃよ」  そう言って翁は、じっと茶碗を見つめた。 「例えば、このお茶だ。このお茶は女将がワシらのために入れてくれたものじゃ。だが、このお茶はワシらのためにあるが、女将はワシらのためにお茶を入れたわけではない」  

 

禅問答のような翁の言葉のいわんとしていることが、私には理解できた。確かに、女将は自分の旅館の経営のために一杯のお茶をいれるのである。しかし、そういう言い方をしてしまっては、みもふたも無いではないかと私は思っていた。

 

「鍼灸も同じ事よ。確かに鍼灸の技術は苦しんでいる人のためにある。しかし、問題なのはそれを使う人よ」 「どう言うことでしょうか」 「おぬし、鍼灸を学んでどうする」 「病気や痛みのある人、苦しんでいる人を楽にしてあげるために使いたいと思います」  

 

一遍斎は、手にした茶碗を、少し回し、一気に飲み干した。そして茶碗を置き、一瞬窓の外の緑を眺めて少し笑ったような気がした。そして、今思えば非常に核心的な事を話し始めたのだ。


「苦しんでいるのはおぬしではないかな?」 「…………」  少しの沈黙があった。 「おぬし自身が楽になりたいのであろう?」 「……」 「その為に人を楽にさせてあげたいのであろうが」  

 

私には、何も言葉がなかった。言われてみれば、私自身の中に、自分の行為により、人に喜んで貰いたい。喜ぶ人の顔がみたいという想いが確かにある。そして、喜ぶ人の顔をみると、それが生きる糧になるような気がする事が少なくなかった。

 

「人の為、人の為と言う輩はのう…」  そう言うと一遍斎は魔法瓶のお湯を急須に注ぎ、しばし茶葉の開くのをまったあと、自分と私の茶碗に注ぎ、急須を置いて言葉をつないだ。 「己が人生を楽しんでいないのよ」
(つづく)

第三話

 
  “人の為”と書いて“偽”と読む」  静かにそうつぶやいた一遍斎翁の前で、私は言葉を失っていた。  漢字を書いてみるまでもない。  一遍斎がいわんとしていることは、人が自らの責任において行動するときには、たとえそれが他人の役に立つことにしろ、あるいは人を助けるという結果を生むにしろ、「何かをやることは人の為ではあり得ない」という、極めて当たり前と言えば当たり前の言葉だ。

 

「人の為、人の為と言う輩は己が人生を楽しんでいないのよ」 一遍斎はそうも言った。  確かに考えてみれば「人の為に役立ちたい」などということは大それた考え方だ。 「苦しんでいる人を楽にしてあげるために鍼灸を学びたい」 と、言った私の言葉に一遍斎は、 「苦しんでいるのはおぬしではないかな?」 というのだ。  

 

一遍斎はこうも言った。 「おぬし自身が楽になりたいが為に人を楽にさせてあげたいのであろうが…」  そして、それは私自身が、自分の人生を本当に楽しんでいないからそういう考えをするのであろう、というのである。  

 

私は自分自身のことを振り返っていた。  かつて会社員だった私は、企業内の人間関係や利益優先の会社体質に嫌気がさし、円満退社ではあったが、内面的には社会の煩雑さから逃げるように、この業界に入ってきたのである。いや、もっと正確に言えば、そうした会社で成り立っているこの社会そのものから、逃れたいという思いがあったのである。  

 

治療の世界というのは、病人や身体に不調を抱える“患者さん”といういわば弱者を相手にする職業である。  そうした人達に「先生」と呼ばれる仕事というのは、特殊というよりも、安全圏に守られた一般社会とは別の世界といっても良い。

 
治療家とはいわば、助けを必要としている人が存在することによって、自分の生きる道が見つかる職業なのである。 「人を楽にする」とか「人に喜んで貰える」などという理屈は所詮治療家の驕った自己満足に過ぎない。 ……どこかに、他人に必要とされたい自分がいる。……だからこそ、私はそういう職業を選んだわけである。  

 

だが、では、どうしたらよいのか?  全国のいろいろなところで耳にした「一遍斎が治してくれた」という伝聞を、必死に追いかけてきた自分の苦労は徒労に終わるのだろうか? 結局、私は、伝統の匂いも嗅ぐことなく、今風の鍼灸師の道を選ぶしかないのであろうか?

   
鍼灸師である私が身分を隠し、温泉宿でマッサージを受けていたあの時、その若いマッサージ師が「とにかくいっぺんなんですよ、いっぺんで治してしまうんです」といったあの言葉、あの言葉を聞いて以来「いっぺん、いっぺん」と呪文のように追いかけてきたその本人が目の前にいるのに……。  

 

自分の甘さを目前に突きつけられて、私は成す術を失っていた。 「まあ、よいわ」  沈黙する私を不憫に思ったのか一遍斎が口を開いてくれた。 「これも縁だ。わしもそろそろ年での、墓場に持っていってもしょうがない。どこぞの物好きにでも残しておけるものがあるなら残しておこうか」  ……

 

これは、私を弟子にしてくれるということなのだろうか? 「ただし、じゃ」  一遍斎は再び私の顔を見つめて言葉を繋いだ。 「お主が習うのは鍼灸の技術ではない。わしという人間を習うことじゃがそれでもよいかな」 「もちろんです」  私は焦っていた。このチャンスを逃してなるものかと思っていた。今まで伝聞した一遍斎の噂が本当なら、この人につけることは、私にとって大変な財産になるはずなのである。

 

 一遍斎は暫くの間なんだか面白そうに私を眺めていたが、 「そう、焦るな。先ずは、息を整えることじゃな。全てはそこから始まるのじゃ」 といった。  一遍斎翁に師事した私の鍼灸修業がこうして始まったのである。
(つづく)