「いのちのケア」の現場から

大白蓮華/2006-9


「うつ病」を治す


近年、「うつ病」で悩む人が増加している。実施したアンケート社会経済生産性本部調査)でも、6割の企業が「ここ3年で心の病をかか抱える社員が増加した」と答えている。「うつ病」の対策が急務になっている。

「性格がうつの因ではない」

 
うつ病は誰れでも発症する病気である。「心の風邪」ともいわれる。しかし、「うつ」は決して安直な病気ではない。長期化し、自殺者を出しかねない病気であることを、しっかり認識すべきである。

うつ病を発症する原因は、「ストレス」をはじめとして、さまざまな要因がからみあっている。うつ病は神経質、几帳面な人がなるとのイメージがあるが、決してそうではない。


林田明日香さん(仮名)は、小さい時から優等生で、明るく、人のために世語役をかってでる人であった。東京の有名私立大学を卒業して、アメリカの看護専門学校に留学した"やり手"だった。

学会2世。高校時代は、池田名誉会長のもと、「社会に役立つ人材に」と誓った逸材である。総合病院で看護師を務めていた時、勤務先の外科医と結婚。エリート同士の、人が羨む結婚であった。しかし、多忙な仕事での行き違いから、結婚は数年で破局した。 


林田さんは、人生をリセットするつもりで再婚した。"今度は失敗なんかしないわ。と‐-、しかし、だんだん「疲れている」と感じるようになり、朝起きると体にだるさが残った。何を食べても砂を噛んでいるようだった。眠れない。何をしても、空疎に思えた。林田さんは、「もっと頑張らなければ」と自分を責めた。

 
口から出るのは、「死にたい」「逃げたい」。「自分は負け犬だ」「自分の人生は失敗だった」と思うようになってしまった。林田さんは夫に連れられ、精神科を受診した。うつ病と診断された。

林田さんは言う。

「『うつ』って『心の弱い人がなる病気』だと思った」と。担当医は言った。うつ病は、心が弱い人がかかる病気と思われがちですが、実はその反対です。普通の人なら途中で投げ出すところを、限界まで頑張り続けてしまうからうつ病になるんです」

「まずは苦しさを理解してほしい」

「人に依存する大切さ」   

 

林田さんは抗うつ剤を服用した。初診の場合は2週間ぐらいで薬が効いてくる。1ヵ月ぐらいで症状が良くなる。しかし、自分の判断で薬をやめてはいけない。林田さんの病状は一進一退を繰り返しながらも、着実に良好へと向かっていった。精神的にも落ち着きが出るようになった。そんな林田さんに、回復への機縁が訪れる。

本紙に掲載された「わが友に贈る」の一節に出あったことだ。林田さんは手あかに汚れたその切り抜きを見せてくれた。

「人がどうあれ 環境がどうあれ 状況がどうあれ 要は自分が強くなればよい!」心のわだかまりが消え、晴れ渡るような思いになったという。その後、快方に向かった。 

林田さんは言う。 

「頑張れない人は弱い人だという思いが強くありました。どこでも"いい子。でいることを心がけてきました。そんなことばかりを気にして生きてきたと思ったんです。自分は自分らしく生きればいい! そう思えるようになりました。『うつ』になったお陰で、人間らしくなれたと思います」 

強く生きること  人生の大事な要素である。
しかし、「強く育て」と教育されて育った「強者志向」の人には危険が隠されている。失敗したこどを「恥」と受け止め、挫折への引き金となってしまうのである。
 人に甘えること、人に依存すること。そうした極めて人間的なことに気づかせるサポートが必要なのである。若いうちは"未完。が当たり前。「ありのままの自分」でいいと、、、。

「怠けているんじゃないの?」

 

「うつ」の苦しさとは、生きがいと感じていたこと、楽しかったことを享受できなくなることである。「うつ」の人と健康な人が決定に違うのは、苦しさの中に「罪悪感」があるかどうかである。「できない自分を責める」その辛さが「うつ」の症状なのである。

 安藤幸子さん(仮名)は、大学を卒業後、一流企業に就職した。「うつ」を発症したきっかけは、仕事上のミスだった。取引先は怒り、会社に抗議の電話が何度も鳴った。結局、上司が謝罪に出向き、事態は収拾した。


 嵐は去ったかにみえた。しかしその後、安藤さんの体に異変が現れる。電話が鳴っただけで動悸が激しくなり、受話器が取れなくなった。会社に来ると体が震え、吐き気がした。不眠にも悩まされた。

 ある日、先輩に打ち開けた。「苦しい!」。

すぐ心療内科を勧められ、受診した。「うつです。会社を休むように」どの医師の指示に従い、実家に帰った。ところが、そこで待っていたのは、母のこんな言葉だった。「本当は怠けてるんじゃないの?」

 

「うつ」の辛さは、なかなか周囲に理解してもらえないことである。


 会社は休んでいるけれど、外見上、なんら問題がなさそうに見える。「これなら仕事にいけるんじゃないの」。その一言が心を切られるように痛い。「うつ」の人にとって、病気自体の苦しさと周囲の無理解が二重苦となる。


 "私には居場所がない。  

そう思った安藤さんは家出した。病気はさらに悪化した。会社にも行かず、両親にまで迷惑をかけているという罪悪感が「うつ」.を悪化させたのだ。次第に自分を否定し、「会社にとって自分はいらない人間だ。死んでお詫びしたい」と言い出すようになった。         

 

「母親拒否がもたらす病」

 
 安藤さんの両親は娘の言葉を聞いて驚き、心療内科に強引に受診させた。医師が処方した抗うつ剤を服用。気分が落ち着いた。しかし、「何をやっても心が動かない」という状態が半年ほど続いた。「うつ」の長期化である。治療が遅れたためであった。一歩、間違えば自殺していたかもしれない。

 次第に、食事をしようとしなくなった。体重が減り、ガリガリにやきよLよくLよう痩せた。いわゆる「拒食症」である。その症状を見た心療医師は思った。仕事上のミスが「うつ」を発症した引き金であったが、それ以前に幼児期からの母親との関わりに問題があると。      

 

「拒食症」は、母親拒否に基づく症状と言われる。また、きょうだいが姉妹の場合に多く、女同士対抗しあうようにして育った場合によく見られる。


安藤さんは違う。

「母とは、あまりスキンシップがありませんでした。母はいつも姉を怒っていたのでとても怖く、いい子にしていないと叱られると思っていました。母は常に高い目標を示すのです。そんな母を拒否していました」

 

娘の心に母の愛が届かなかったことが病気の原因だと医師に言われた。母は苦しんだ。そして、娘を受け入れることにした。母は娘を責めることをやめた。そこから母娘の関係が変わっていった。安藤さんは母に安心感を抱くようになった。そして、以前はあげたくても、あげられなかった題目に挑戦するようになった。


 総合病院の精神科で18年間、看護師長を務めてきた東田恵子さん‐白樺会‐は言う。

「題目をあ付ていい時期と、あげないほうがいい時期とがあるんです。いい時期というのは、患者自身が、病気を客観視できた時です。"ああ、そうか。こんなに苦しむのは、自分が弱いからではなく、病気が原因なのか。そう気がついて、患者自身が自発的に題目をあげようとする時です。こうなると、『うつ』の回復はとても早いんです」

 題目の挑戦を開始した安藤さんは次第に快方に向かった。その後、良縁にも恵まれて結婚、2人の子を出産した。「今まで、人から愛されたい、と焦っていました。でも、『うつ』を乗り越え、また母になって思うことは、愛されることではなく、人を愛することが大切だとわかったことです」


「"7割人生"でいい」

 
 「うつ」の中にも、女性に多く見られる「更年期のうつ」がある。川田陽子さん(仮名、58歳)もその一人である。3人の子どもを育てあげ、一息ついた平成7年、子宮に腫瘍が見つかった、摘出手術は成功した。しかし、ここから「うつ」が始また。体の火照り、めまい、ふらつきが出るようになった。産婦人科を受診したが異常はない。しかし、気力がなくなり、気分が落ち込んだ。食事も家事もできなくなった。症状が出てから1年たって、友人に勧められ精神科を受診した。


 川田さんは言う。

「一体、何がどうなっているのか、全く分からないまま、1年間、苦しみ続けました。一番、苦しかったのは不眠症でした」


「うつ病」と診断され、すぐさま抗うつ剤の服用を開始した。「これが効いたんです。ぐっすりました」と川田さん。更年期の「うつ」の女性に抗うつ剤は劇的に効く場合が多い。


 川田さんの症状は安定し、順調に回復した。ここ数年、薬も服用していない。医者の的確な治療が因となったことは間違いないが、川田さんを支えてくれたのは、他ならぬ夫であった。

 夫の悟さんは言う。 

「一目、何度もメールや電話をしました。休みの日には2人でドライブに行きました。妻の負担にならない程度に気分転換を心がけました」
 医師のアドバイスも川田さんの心を和らげた。「"7割人生。でいいんですよ。体の思う通りにしてあげることが大切なんですから」


 "何でも聞いて、何でも話し合える人がいる。  

そういった人と人とのつながりが、川田さんを支える大きな力となった。「うつ」といっても、その原因、回復の経緯もそれぞれである。しかし、言えることは、「うつ病は治る」ということである。

 白樺会の東田さんは訴える。 

「『うつ』は治る病気です。大切なことは、『あわてない』『あせらない』『あきらめない』ことです。学会員でも、うつ病で入院した人はいますが、かえって人間的に成長され、強くなっておられるように思います」

 大白蓮華/2006-9