五義の教を知る 第一章 五重の相対

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】1/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時22分42秒

  日蓮大聖人の教相判釈で、後に「五重の相対」と呼ばれる法理がありますが、

これは“人本尊開顕の書”である開目抄の前半で詳細に述べられています。

 

この相対論の思想は仏教の伝統的思想で、大聖人は伝教の著作・法華秀句の

「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」(三一〇頁)の文を引き、

 

一代聖教を浅い哲理より深い哲理へと順次に相対させて、思想上の価値判定を繰り返し、

より求心的に最高究極の哲理を求め、何が釈尊の真実なのかを洞察していきました。

 

五重の相対とは“五義(教・機・時・国・教法流布の先後)”の「教」を知るための規範であり、

その教えの高低・浅深・優劣を決定する教判 (宗教批判の原理)の一つです。

 

大聖人は開目抄のなかでこの五重の相対を用いて

「一念三千の法門(三大秘法の南無妙法蓮華経)」こそが末法の衆生を救済する最高の教えであると明かされました。

 

大石寺・日寛も六巻抄(三重秘伝抄)のなかで“五重の相対”のうち「権実・本迹・種脱」相対の“三重”は、

日興門流のみに伝わる秘伝であると称して詳細に検証しています。

 

三重秘伝とは一念三千の法門が三重の段階で明らかにされることを示したものです。

 

そして末法に弘められる「教」は文底秘沈の“事の一念三千”であることを論証しました。

 

この日寛の出現によって後世の弟子「牧口先生・戸田先生」は、五(五老僧)・一(日興)を相対して

日興門流富士大石寺を選び取り、大聖人の命脈を継承していくのですが、これは後に述べていきたいと思います。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】2/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時24分1秒

  唱法華題目抄には「法門をもて邪正をただすべし」(一六頁)との記述がありますが、

これは仏法の正邪の裁定には、法門上の根拠が必要不可欠なのだという意味です。

 

戸田先生は宗教批判の基準について

 

「日本の現在は種々の宗教があるが、これを批判する基準を知らない。

ことに知識階級ぐらいは、これを知っておってよいはずだが、宗教教育のないために、

啞法の尊者のようであるのは遺憾というよりほかない。

 

しからば、宗教批判の原理はなにか。

五重の相対と、文証・理証・現証の三証と、教・機・時・国・教法流布の先後(五義)とについて考察しなくてはならない」

(戸田城聖全集三巻一三〇頁)と述べています。

 

そして池田先生は小説「新・人間革命(厳護)二十四巻」で、教学の重要性についてこう述べています。

 

「仏法を学び、教学の研鑽を重ねることは、人生の意味を掘り下げ、豊饒(ほうじょう)なる精神の宝庫の扉を開く作業といってよい。

・・・第二代会長・戸田城聖も、こう訴えている。

『信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ』『教学により信心が強くなり、高まるから功徳がでる』と。

 

大聖人は『心の師とはなるとも心を師とせざれ』との経文を引かれて、仏法者の在り方を指導されている。

その『心の師』となるべき、仏法の法理を学ぶのが教学である。

 

・・・創価学会の人間革命運動を推進していくには、教学が不可欠であるというのが、伸一の思索に思索を重ねた結論であったのである。

戦後の創価学会再建にあたって、戸田城聖が全精魂を注いできたのは、教学を一人ひとりの生命に打ち込むことであった」と。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】3/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時25分36秒

  さらに日寛は六巻抄で「明者はその理を尊び、闇者はその文を守る」(依義判文抄)と述べています。

 

文は理をあらわすための手段であるから、賢明な者はその文が何をいわんとしているのか、

その奥底の思想・哲理・本質というものをよく読み取って尊ぶ。

 

それに対して愚迷な者は文言にのみ執着し、その文が説かんとしている思想を究めることができないという意味です。

 

それでは、仏教の伝統的思想である相対論「五重の相対」を考えていきたいと思います。

 

竜口で発迹顕本された大聖人は流罪地である極寒の佐渡に到着した直後(十一月)、すぐに開目抄の構想を練られるわけですが、

佐渡地での環境は劣悪で、大聖人の住居であった塚原三昧堂は墓所の「死人を捨つる所」(九一六頁)にある一間四面の狭い堂で、

祭るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題で廃屋(はいおく)同然の建物でした。

 

そうした環境のなかで大聖人は思索を深められ、構想も含めて約三ヶ月で人類を救う大著・開目抄が綴られ完成させました。

 

普通の人間がもしそういう環境に置かれたら“人類の救済云々”などとは考えないし、考える余裕すらないと思います。

 

冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もるなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごし、

慣れない北国の寒さに加え、食料も乏しい――。

 

古来、大難を耐え忍んだ人はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで自分自身のことよりも、

民衆救済の指南書ともいえる“開目抄”や“観心本尊抄”を書き残し、弟子たちに楔を打たれたことだと思います。

 

御振舞抄に「去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり」(九一九頁)とありますが、

 

この“日蓮の不思議”とは発迹顕本のことだと思われます。

 

大聖人が発迹顕本(主師親の三徳を開く)したことによって、万人に仏界の生命を開く道が示されました。

 

つまり「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(五六四頁)と述べられたように、

 

大聖人の発迹顕本は末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の「根本原理」を示されているのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】4/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時27分29秒

  その開目抄の冒頭で、大聖人は全人類が尊敬すべきものとして

「主師親の三徳」がテーマとして示され、中国の思想(儒教・道教)、インドの外道、

内道の仏教の三つにそれぞれ多くの人々から“主師親”として尊敬されている存在を挙げられます。

 

そして、それぞれの宗教がいかなる「法」で、どのような「生き方」を教えているのかを問い

“主師親”を基軸にして「生命の因果」という根本的な視点に立って検証していきました。

 

五重の相対という法理は、人間の幸・不幸という「生命の因果」を

それぞれの思想・宗教がどのように説いているかという観点から判別したものです。

 

つまり、その「教え」が人間の幸・不幸の「原因と結果」をどれだけ深く根底まで掘り下げ、

これをどう見極めるかによって、思想・宗教の高低浅深を問うものです。

 

御書には「譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」(九二一頁)とあります。

 

医者が病気を治そうとする時には、その病気の原因をよく見極めて治療しなければ、かえって病気を悪化させることがあります。

 

それと同様に、苦難や不幸を解決するためには、その根本原因を見極めて解決に当たらなければ不幸を助長しかねません。

 

不幸の原因とその結果を明確にすることは、宗教・思想にとってもっとも肝要なことです。

つまり、その宗教(教えの根本)が説く「生命の因果」の深さは、その宗教が前提とする「悟りの法門」の深さに関係しているのです。

 

大聖人は開目抄のなかで諸宗教・思想の「生命の因果」の立て方に種々の違いがあることを述べられ、

その高低浅低を“五重の相対”によって示されていきます。

 

その過程で「成仏の因果」、つまり人々を救う要法として“事の一念三千”の法門を明かされていきました。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】5/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時28分44秒

  その第一の相対が「内外相対」です。

 

これは内道である仏教と仏教以外の諸教との相対です。

仏教がなぜ“内道”なのかというと、仏教は自身の幸・不幸の原因が自身の内にあり、

自身が自らの運命の決定権をにぎる主体者であることを明かしているからです。

 

これに対して“外道”といわれる諸宗教のなかには、

自身の幸・不幸に関する因果の法則を認めていないものがあります。

 

大聖人は

 

「儒教等の中国諸教の賢人・聖人たちが、

さまざまな形で巧みにその理解を立ててはいるが、まだ過去世・未来世については何も知らない。

 

ただ現世のことだけを知っているにすぎない。

 

孔子が『中国に賢人・聖人はいない。西の方に仏図(仏陀)という者があり、その人が真の聖人である』といって、

外典である儒教を仏法へ入る門とした。

 

儒教は礼儀や音楽などを教えて、あとに仏教が伝来した時、戒・定・慧の三学を理解しやすくするために、

 

王と臣下の区別を教え、尊卑を示し、

父母を尊ぶべきことを教え、孝行の道を尽くす大切さを教え、

師匠と弟子の立場を明かし、師に帰依することの重要性を教えたのである(趣意)」(一八六頁)と、

 

儒教の本質を語り、

 

「インドの外道で説かれた教えは、その見解が深く巧みなさまは儒教の遠く及ぶところではない。

 

しかし、その所説の法門の極理は、

あるいは『因の中に果がある』という決定論、

あるいは『因の中に果はない』という偶然論、

あるいは『因の中にまたは果があり、または果がない』という折衷論などである。

 

これらが外道の究極の理論である。

それら外道の修行では、生死の苦悩から開放されることはできない。

結局、外道というものは仏教に入るための教えであり、それが外道がもつ最重要の意義なのです(趣意)」(一八七頁)

 

と、外道の本質を明らかにしました。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】6/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月11日(月)14時30分24秒

  この外道に相対して、内道である仏教は

自身に起こってくるすべての出来事を自己責任で捉える“自業自得”という思想です。

 

つまり、自らの善悪の行いに対する苦楽の結果を自らが得るという意味です。

 

仏教がなぜこのような厳しき因果の理法を自分の問題として捉えることができる思想なのかというと、

人間の生命の内に“仏性”という偉大な変革の可能性と力が本来的に備わっているという真実を知っているからです。

 

自分の意志と行動によって自身の運命を切り開くことができるという主体性と責任に目覚めさせていくのが仏教(内道)なのです。

 

この内外相対の戦いを展開したのが仏教の祖師である釈尊です。

 

大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(一一七四頁)と述べています。

 

釈尊が菩提樹の下で“根源の法”を悟ってから、釈尊の出世の本懐である法華経を

自身の「生き方」と「振る舞い」を通して万人に示し、正しい教えと自分自身を拠り所としていくべきことを訴え

 

「怠ることなく、勤め、励め」との言葉を最後の教えとして八十年の生涯を閉じました。

 

釈尊滅後、その振る舞いと教えを正しく後世に伝えるために弟子たちが集まって、

師の教えを“経典”としてまとめたのが「八万四千の法蔵」と呼ばれる一代聖教です。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】7/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月12日(火)11時02分15秒

  そして、第二の相対が「大小相対」です。

 

この大小相対については、開目抄ではほとんど触れていませんが、

権実相対を論ずるなかで大小相対の意が含まれています。

 

大小相対とは、大乗教と小乗教を相対したものです。

 

一口に“仏教経典”といってもその教えはさまざまで、小乗教では戒を持ち瞑想に励むなどの修行を重ね、

苦悩の原因である煩悩を断じて、平穏な境地である“涅槃”を目指します。

 

しかも不幸の原因が自分自身の生命に本来的に具わっている九界の煩悩ですから、

その煩悩を完全に断じようとすれば、生命そのものを滅する意外ありません。

 

これが「灰身滅智」というものであり、ここに小乗教の限界があるのです。

 

これに対して、大乗教では小乗教のように煩悩を排除するのではなく、

煩悩が具わる生命自体に悟りの智慧を開き、煩悩を正しくコントロールして

清浄で力強い主体的な生命を築くことを教えています。

 

これが「煩悩即菩提」です。

 

この大小相対の戦いを展開したのが、ともに釈尊の弟子であった在家信者と出家僧です。

 

偉大な釈尊が入滅した後、ただちに五百人の弟子が集まって経典を結集し、一つ一つ慎重に吟味して

全員が一致したものを仏説として教団の共有財産にしていきました。

 

仏教教団が経典の結集と継承に全力を注いだのは、生前の釈尊の「令法久住」の熱誠があったからです。

 

彼らはその仏典を「阿含経(聖教の意)」と呼び、非常に権威あるものとして大切にしています。

二回目に行われた仏典結集は、釈尊滅後から百年後といわれています。

 

この頃から仏教教団は、出家僧を中心とする「上座部」と在家信者を中心とする「大衆部」に分裂していきます。

 

いわゆる「根本二部分裂」というものです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】8/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月12日(火)11時02分58秒

  釈尊滅後、百年といえば釈尊から直接指導をうけた弟子たちはすべて死んでいるでしょう。

だから滅後百年も経てば誰も釈尊は知らないわけです。

 

仏教教団も釈尊の在世時代から数えて四代目から五代目、六代目の世代によって教団運営されていたと思われます。

 

時代の状況も大きく変化し、民衆の生活様式もかなり変わっていたでしょう。

そういうなかで釈尊の遺訓や教義に対しても、さまざまな異見が出てくるのはやむお得ないと思います。

 

「大衆部」の支持基盤は主に在家信者だったとされていますが、

当時の仏教教団には「十事(十か条)」の戒律があり、その内容は生活の細部にまで至り、

いちいち教団の許可を事前に得なければ何もできないという厳格な戒律主義に陥っていました。

 

こうなった原因の一つは僧侶の特権意識だったと思われます。

 

「自分たちは、大衆と違って特別な修行をしている」といった意識が戒律をより煩雑にしていったと考えられます。

 

このことがきっかけとなって、戒律中心の閉鎖的な仏教教団の殻を破る革新運動が巻き起こっていったのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】9/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月12日(火)11時03分41秒

  根本二部の分裂は表面的には“十事の戒律”をめぐる争いのように見えますが、

その本質は上座部が出家僧中心の閉鎖集団に陥っていたという背景があるようです。

 

出家僧の弟子たちは民衆から離れ、超世俗的な修行に閉じこもり、

釈尊の教えである“経と律”の文々区々をどれだけ多く知っているか、

また出家してからどれだけ長く年数を経ているかが、教団内の「阿羅漢(聖者)」と呼ばれる条件となっていました。

 

しかし、大乗経典ではとくに「菩薩」のあり方が強調されています。

 

それは出家修行者は自らの解脱を目指すだけでなく、

広く大衆を教化するために「利他行」を積極的になすべきであるというものです。

 

このようなことから初期の経典は、教団の出家僧を対象にしたものであったため、

現実に大衆のなかに飛び込んで、布教活動している弟子には受け入れがたいものがありました。

 

大乗教徒はバラモン教徒とも積極的に論争し、それを打ち破っています。

彼らは僧院に閉じこもるのではなく、仏法思想を社会に開かれたものにしたのです。

 

大乗経典には政治上の権力者である「王」の在るべき姿も説かれ、

仏法の理念である「法」の立場から政治にも発言しています。

 

整理すると、

 

保守的な小乗教徒は釈尊の説法を金言と仰ぎ、教団統制のための戒律を厳格に守って、

仏典の語句をいちいち金科玉条(最も大切な法律・規律)としていた。

 

その結果、すべての経文を形式的、表面的に解釈するようになり、アビダルマ研究に流されてしまったのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】10/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月12日(火)11時04分21秒 編集済

  それに対して、大乗教徒は経典の文言にとらわれるのではなく、

立体的にして融通のきく立場に立ち、釈尊本来の精神に立ち返って経文を解釈しました。

 

ちょうどその頃、バラモン勢力の影響もあって小乗教団は経典のサンスクリット(梵語)化を進めていました。

 

しかしこれは釈尊が生前に禁じていたことです。

 

釈尊は仏教が特権階級の専有物ではなく、広く一般大衆にも開かれたものであるとして、

各地の巡行にあたっても平易な言葉で語りかけています。

 

その釈尊の精神を受け継ごうとする弟子たちが、小乗教徒とは別に、

各地に散って平易な仏教物語を説いていったと思うのです。

 

法華経をはじめとして、民衆にもわかりやすい譬喩や文学的表現が多いのもこのためかと思います。

 

その運動の重要な担い手となったのが在家の菩薩です。

 

そして、仏滅後七百年ごろに南インドに“竜樹”があらわれ大乗教を体系化して大いに宣揚しました。

さらに仏滅後九百年ごろに“天親(世親)”があらわれ仏教思想を教学的に体系化しました。

 

もし、竜樹や天親が出現しなかったら中国にしても日本にしても、

釈尊の八万法蔵の教えが入り乱れてしまったまま伝わり収拾がつかなかったかも知れません。

 

竜樹は後世になって「八宗の祖師」と呼ばれるようになるのですが、

竜樹はインドで著された小乗経典・大乗経典をきちんと整理し、

とくに大乗仏教がいち早く中国・日本に伝わるような基盤を築いた人物といえるでしょう。

 

これは仏教の“三時”である正法時代(千年)に、インドで「内外相対」「大小相対」の実践が成されたことになります。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】11/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月13日(水)10時17分4秒

  次ぎの第三の相対が「権実相対」です。

 

人間の幸福の「因果の涌現」を目指す大乗教にも二種類あります。

それが“権大乗教(権経)”と“実大乗教(実経)”の相対です。

 

“実教”とは真実の教えという意味で「法華経」を指します。

“権教”は権(かり)の教えという意味で「法華経以外」の教えです。

 

実教である法華経は、人間の生命自体に幸福の根本原因である仏果(仏界)が本来的に具わっていると明かし、

二乗や悪人、女性も含めてすべての人々が平等に成仏できるという仏の真実の悟りを説き明かし、その根拠となる法門を示しています。

 

これに対して、権教は自分の“悟りのみ”を追求する二乗を嫌い、悪人・女性などは成仏できないと説いています。

 

「万人の幸福こそ仏の真意」という法華経からすれば、権経は人々の機根に合わせた方便の教えであり、権(かり)の教えにすぎません。

 

大聖人の結論は「但し法華経計り教主釈尊の正言なり」です。

 

万人の幸福――これを可能にする法理を説いた法華経こそが釈尊の真実の教えなのです。

 

インドで生まれた釈尊の仏教が、まったく異質の文明を持つ中国や日本へ伝えられると、それぞれ国によって独自の発展を遂げていきます。

そして、この権実相対の戦いを展開したのが、中国に出現した天台大師と日本の伝教大師です。

 

竜樹がインドにおいて小乗経典・大乗経典をきちんと整理し体系化したように、

天台は中国において別の角度から仏教を整理し、伝教はそれを日本において実践に移しました。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】12/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月13日(水)10時17分50秒

  繰り返しになりますが、

インドでは釈尊滅後、初期教団の経典結集から始まり、アビダルマ研究による小乗論集、

そして大乗仏教の興起へと、教義的にも順を追って深まり発展していった歴史があります。

 

一方、中国では経典伝播の過程で、経典成立の先後や高低にまったく関係なく大乗も小乗も別々に、

しかも時には順序も逆になって仏教が伝わってきた歴史的経緯がありました。

 

ここに中国仏教界における混乱の一因があったと思うのです。

 

そういうなかで西域地方から来た「鳩摩羅什」の登場によって、釈尊一代の説法のなかにも

それぞれ教相の“先後・浅深・高低・優劣”があることを教えられた中国の仏教界は、

いよいよ第二期(第一期、竜樹)の学派時代に入っていったのです。

 

南三北七といって南方と北方に各学派が成立しそれぞれが自派の「教相判釈」を競っていた時代です。

 

それぞれの学派が膨大な仏典のなかで、釈尊の根本精神はどこにあるのかを真剣に研究していました。

 

この頃はまだ、一宗一派に固定していない状態ですから、

南北の交流もあり優秀な学僧は優れた師を求めて各地を修行して歩いていました。

 

そこに南岳大師や天台大師が出現する基盤や、どこまでも真実を求めていこうとする精神の自由があったと考えられます。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】13/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月13日(水)10時18分36秒

  南三北七の諸家が釈尊一代の説法のうち、何が最高のものであるかに迷っていたときに、天台大師が登場します。

 

南岳大師に師事していた天台は「法華経」が最も第一の経典であることを生涯説き続けました。

南三北七の諸家の教判では、華厳経や涅槃経が上位におかれていて法華経は第三の位置に落とされていました。

 

それに対して、天台はまったく新たな教判(五時八教)をもって、法華経こそが第一であると主張します。

 

天台は仏説にまかせて法華経が最高第一であることを知らしめるために、

南北の全仏教者を向こうにまわして獅子奮迅の戦いを展開しなければなりませんでした。

 

おそらくこの主張は、孤立無援の懸命な戦いであったと容易に想像がつきます。

天台の教判は膨大な仏典の密林に分け入る方法論であり、羅針盤であったといえるでしょう。

 

しかし、天台は教判のみにとどまっていたのではなく、彼がもっとも力を入れたのは、

後世“天台の三大部”として知られる法華経を中心とした理論体系の構築にあったのです。

 

後に「法華玄義・法華文句・摩訶止観」である三大部を筆録した弟子の章安大師は、

もともとは天台の涅槃経講義を聴聞したいために、天台の門に入ったといわれています。

 

その彼が涅槃経よりも法華経のほうが勝っていることを知った一事をみても、天台の与えた影響力の大きさがうかがえます。

 

天台大師は像法時代において「権実相対」の戦いを展開し、

“鳩摩羅什”以後の中国仏教界をさらに大きく変革していった人物といえるでしょう。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】14/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月13日(水)10時19分24秒

  像法時代の後半に入り、六世紀から七世紀の前半にかけて、

日本では飛鳥寺・四天王寺・法隆寺などの壮大な寺院が次々と建てられ、

その内部にはさまざまな仏像や工芸品、絵画が置かれます。

 

それを初めて見た人々は自然と畏敬の念を感じたことでしょう。

仏教の知識がなくても、それらの迫力、美しさに圧倒されたにちがいありません。

 

そして像法時代の後半、八百年(釈尊滅後千八百年)が過ぎた頃に伝教大師が登場します。

 

彼は奈良東大寺で出家し、まもなく比叡山に入って法華経を根本とする天台の教えを信奉するようになります。

後に中国へ渡り、天台の弟子にあたる道邃(どうすい)と行満(ぎょうまん)から天台教学を学び帰国後、日本天台宗を開きました。

 

この頃の日本では中国と同じく、仏教が何派にも分裂していて、

伝教は諸宗と論争し、法華一乗を宣揚していきます。

 

そして晩年、彼は法華経・迹門に基づく“大乗戒壇”を建立して生涯を終えました。

 

こうして日本に仏教が根を下ろし、大聖人の在世には

「寺が一万一千三十七箇所、社は三千一百三十二社」(一〇六六頁)と多くの寺院が建立されていたのです。

 

これらの事例から仏教の“三時”である像法時代(千年)に中国・日本で「権実相対」の実践が成されたことになります。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】15/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月14日(木)09時12分59秒

  そして、第四の相対が「本迹相対」です。

 

この“本迹相対”と、後に続く“種脱相対”こそが、

大聖人独自(独一本門)の教判であり、日蓮教学の骨格を成すものです。

 

大聖人は剣豪の修行の如き仏典の研鑽と二千数百年にわたる仏教指導者の論釈書を精査するなかで、

釈尊から始まる正統精神が「竜樹・天親・天台・伝教」に流れていることを突き止め、

 

私(日蓮)こそが、釈尊から付嘱を受けた末法の法華経の行者であり、地涌の菩薩の棟梁なのだと覚知します。

 

大聖人は仏教史に燦然と輝く正法・像法時代の大論師「竜樹・天親・天台・伝教」たちの論説を踏まえつつ、

独自の視点から法華経を洞察し、自身の教法を展開していきました。

 

大聖人がその発想に至る背景には理由がありました。

 

そもそも日本の法華経信仰の「師」は伝教大師です。比叡山にはすでに国家公認の戒壇も建立していました。

 

しかし、伝教の後継者ともくされた弟子「泰範(たいはん)」は師匠を裏切り、真言宗・空海の弟子になってしまったのです。

 

そのなかで極めつけは日本天台宗の“真言化”です。

その道を開いたのが伝教の弟子・慈覚(第三代座主)と智証(第五代座主)でした。

 

法華経第一が伝教の根本だったにせよ、大聖人が遊学の修行に訪れた比叡山はすでに謗法まみれだったのです。

 

後年、大聖人は伝教の弟子「慈覚・智証」を名指しで、徹底的に破折しています。

 

 

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】16/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月14日(木)09時13分50秒

  伝教滅後、一代聖教の最高峰に位置する法華経が廃れていく当時の日本にあって、

行動と実質を第一義とする大聖人の行き方は、「どの教団が正統なのか」という観点はなく、

「誰が正統なのか」という一人の人間に視点が向けられていました。

 

なぜかというと、法華経を信奉する教団の実践がいかに拡大され、多岐にわたって展開されても、

究極の原点にさかのぼれば一個の人間であり、その内なる生命に帰着するからです。

 

大聖人は

 

「日蓮はおそらくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号く」(五〇九頁)と述べています。

 

この御文は釈尊、天台、伝教という流れが仏教正統の系譜であることを認識した言葉です。

 

三時(正・像・末)の見方でいえば、釈尊の仏法が次第に混乱の様相を呈していくなかで、

 

法華経の「万人成仏」の思想が次第に明らかな形をあらわし、

万人に流布される過程でもあったことを「三国四師」という大聖人の歴史観は示しているように思います。

 

大聖人の行った実践法は、他の法華経信奉者とは違い、法華経を“身読”するという

手法を用いて釈尊の精神がどこにあるのかを事実の上で証明していく生涯でもあったのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】17/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月14日(木)09時14分43秒

  さて、話を本迹相対にもどします。

 

大聖人は天台の「権実相対」からもう一重深く法華経を体系付け、

法華経二十八品からなる前半十四品を「迹門」、後半十四品を「本門」に立て分けて、

釈尊が本当に説きたかった「法」は後半十四品にあると位置付けました。

 

これが法華経における本門と迹門の相対です。

 

大聖人は

「本迹の相違は水火・天地の違目なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり」(九九六頁)、

 

また

「この法華経には二つの大事がある。それは《迹門》理の一念三千と《本門》事の一念三千である(趣意)」(一八九頁~)と述べています。

 

なぜそういう発想になるのかというと、釈尊の真実の教えは「法華経」だけども、

前半十四品(迹門)の方便品には、諸法実相(十如実相)に約して一念三千を説き、二乗作仏は説いているが、

 

まだ釈尊が本当に言いたかった永遠(久遠実成)の生命観は明かしていない。

 

よって、仏の本地をあらわしていないから本有常住の生命の実体を説き明かしていないことになります。

 

さらに、大聖人は

「しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、

水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮べるににたり」(一九七頁)と述べます。

 

つまり、まだ釈尊の発迹顕本を明かしていないから

生命の実体(一念三千)が不明で真実の一念三千もあらわれていない。

 

また、二乗が仏に成ると説かれたものの、

本有常住の生命が明かされていないから仏界の生命も九界の生命もその実体が不明である。

 

だから結局、二乗作仏も定まっていないことになる。

 

譬えていえば、一念三千を説いたけれどもそれは理(理論)の上で説いたにすぎないから

水面に浮かぶ月影のようなもので実体がない。

 

だから根なし草が波の上に浮かんでいるようにしっかり定まったことにはならない。

 

要するに、釈尊の本地である「久遠実成」が説かれていないから迹門十四品だけでは不完全なのだということです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】18/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月14日(木)09時15分36秒

  これに対して後半十四品(本門)では、寿量品でやっと釈尊の永遠の生命観が語られ、

釈尊の本地である「久遠実成」が“三妙合論”に約して説かれました。

 

三妙合論とは「本因妙・本果妙・本国土妙」の三妙が合わせて論じられているという意味です。

 

これがなぜ“久遠実成”なのかを簡潔に説明すると、

 

まず寿量品の文、

 

「我れは本(も)と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今猶お未だ尽きず」(妙法蓮華経四八二頁)

 

が《衆生の永遠性》でこれが本因妙です。

 

つまり、釈尊が凡夫の時に未だ明かされていない「何物か」によって菩薩の修行をした。

 

この修行が“因”となって

 

「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり」(同頁)が《仏の永遠性》でこれが本果妙です。

 

つまり、久遠(五百億塵点劫)の昔に菩薩の修行をした“結果(果徳)”として成仏した。

 

そして

 

「我れは常に此の娑婆世界に在って説法教化す」(四七九頁)が《国土の永遠性》でこれが本国土妙です。

 

つまり、久遠の昔に成仏して以来、常に“娑婆世界”で民衆に説法し教化している、ということです。

 

このように、

本門で釈尊の本地である久遠実成を仏の具体的な振る舞いのなかに

“本因妙・本果妙・本国土妙”の三妙合論して明かし、この寿量品の説法があって

 

初めて「永遠の法」である南無妙法蓮華経を指し示すことができるのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】19/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月14日(木)09時16分21秒

  一度整理します。

 

迹門では、一切衆生の生命に仏と同じ生命が具わっていること(理の一念三千)が明かされ、

誰もが成仏する論理が展開されているが、まだ事実としての成仏の姿は明らかにされていません。

本門に至って、はじめて久遠の成道(釈尊の発迹顕本)という釈尊の体験を通して成仏の実体が明かされました。

 

本迹相対を人間の生き方でいえば、“迹”とは影であり“本”とは本体です。

 

現実世界のすべての現象は、縁によってあらわれた影にすぎない。

その時々に変化する現象を永遠に変わらない実在のように考え、とらわれていくのは「迹門」の生き方です。

 

現在の自分の姿、現在のこの人生はいつまでもこのまま続くのではなく、やがては年老いて死んでいく――。

 

しかし、肉体を持ち、社会的役割をもった人間としての自分は、老化と死によって変化し消えていったとしても、

根本的な「我」はさまざまな宿業を負いながら実在しつづけていくのです。

 

この根本的な自己をしっかり自覚し、見失わない生き方が「本門」なのです。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】20/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時13分8秒

  次ぎの第五の相対が「種脱相対」です。

 

種脱相対とは、法華経本門には二つの“義”があり

「釈尊の本門(脱益仏法)文上」と「大聖人の本門(下種仏法)文底」の相対です。

 

なぜ釈尊の仏法が“脱益仏法”なのかというと、

まず釈尊は寿量品において「釈尊と衆生」の関係性を明らかにします。

 

釈尊の弟子たちは、師匠である釈尊が成道(発迹顕本)したのは、王位を捨てて出家し、

そこから菩薩の修行をしたのち、菩提樹の下で成道したと思っていました。

 

しかし釈尊はそうではなく

「実は久遠という過去世の遠い昔に私(釈尊)はすでに菩薩の修行を終え、発迹顕本して衆生に下種してきた。

それ以来、この娑婆世界で何回も何回も下種した衆生を私(釈尊)と同じように発迹顕本させ、

その功徳(境涯)を得させるために説法教化してきたのだ」と明かしたのです。

 

これが釈尊の法華経であり釈尊の出世の本懐です。

 

だから衆生側は、すでに下種されているのだから釈尊の振る舞いを通して学び、

釈尊と同じように発迹顕本すれば仏の境涯を得、人生を楽しく生きていけるのです。

 

仏が衆生に初めて法を教えることを「下種」といいます。

そして、仏の教化によって次第に衆生の機根が整うのを「熟」といい、最後に発迹顕本(成仏)することを「脱」といいます。

 

要するに、釈尊の仏法は釈尊が過去に下種し、何回も説法教化することによって

衆生の機根が成熟し最後に成仏させるための脱益の教えということです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】21/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時13分54秒

  これに対して、末法に生まれてくる衆生は過去に下種を受けたことがなく、成仏のための善根を持っていません。

 

簡単にいえば、釈尊と縁がない(眷属ではない)のです。

このことを知っていた釈尊は「地涌の菩薩」に末法の衆生救済を託します。

 

釈尊は遠い未来を洞察し、自身(釈尊)亡きあと、教法が弘まっていく道程を五つ(五箇の五百歳)に立て分け、

末法の衆生が登場する時代様相は、第五番目の「闘諍堅固・白法隠没」になった時だと述べます。

 

その特徴は、常に争いごとが絶えず人心も濁っていて、親が子を殺し、子が親を殺すという、

とんでもない人間が生まれてくる時代で、仏法があるといっても「全民衆を救済する」という仏法本来の精神が完全に廃れているのが末法です。

 

だから末法の衆生は脱益仏法では成仏できず、最初に下種をするところから始めなければならないのです。

 

これが大聖人の仏法が下種仏法といわれる所以です。

 

しかし、釈尊を仏にした「根源の法」といっても具体的に何を下種するのでしょう――。

 

そもそも法華経本門で、釈尊の久遠の発迹顕本(成道)が説かれたといっても、

それは結果の姿にすぎないばかりか、成仏の本因の法(根源の法)が明かされたわけではありません。

 

つまり釈尊自身が修行して成仏した「根源の法」が何であったのかについては、釈尊は何も明かしませんでした。

 

それを法華経本門寿量品から拾い出し、宇宙と生命に内在する「根源の法」をわが身に涌現し、

 

人類史上初めてその「法と人」が一体となって、その人格にあらわれ振る舞われた人間――それが発迹顕本の日蓮大聖人なのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】22/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時14分41秒

  大聖人は釈尊が修行した根源の法が「事の一念三千(三大秘法の南無妙法蓮華経)」であると明かされます。

 

大聖人のいう「事」とは“法と人”つまり“法体”そのものが「事」ということです。

 

御書には「自受用身とは一念三千なり・・・・一念三千即自受用身」(七五九頁)とあります。

 

この御文の意味は、根源の法を用いる身(自受用身)、これが大聖人の報身(心)にあらわれた、

何によってあらわれたのか――それは「久遠元初の発迹顕本」によってです。

 

“久遠元初の自受用報身(日蓮)”即“一念三千(法)”との表現は、

法と人は決して別々のものではなく、一体のもの不二のものということです。

 

大聖人は悪世末法の衆生を救済するために、まず、わが身に根源の法を涌現(発迹顕本)させ、

万人にその方途を示して、その明鏡を「人法一箇の本尊」として図顕し末法の衆生に残しました。

 

つまり、大聖人と南無妙法蓮華経の“人法”は、一体であり不二の関係である、

その大聖人の魂を「本尊」として図顕し、幸福の因果の法を万人に授与するということです。

 

これが大聖人の「事の一念三千」の法門です。

 

五重の相対のなかで、ここはもっとも大事なところなので、じっくり考えていきたいと思います。

 

大聖人は開目抄で

 

「この法華経の大事たる一念三千の法門は、ただ法華経の本門・寿量品の“文の底に沈め”られている。

竜樹・天親は知ってはいたがそれを拾い出していない。ただ天台大師のみがこれを内心に悟っていた(通解)」(一八九頁)と述べています。

 

これは法華経の大事たる一念三千の法門(根源の法)を明かされたのは、

後半十四品(本門)寿量品の“文の底”に明かされているという意味ですが、

 

ここで疑問に思うのは、方便品の十如実相で一念三千を明かし、

寿量品の三妙合論と久遠実成で、完全に一念三千を説き明かしているのに、

どうして寿量品の文上ではなく“文の底”つまり文底にあると表現したのでしょうか。

 

ちなみにこれを「文底秘沈」というのですが、大聖人の教義と諸宗の教義の最大の違いは、この種脱相対(文上・文底)にあります。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】23/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時15分28秒

  富木常忍に宛てた手紙のなかで、大聖人は

 

「心得ておきなさい。法華経と爾前経と相対して判別するのに

“当分と跨節(一重立ち入る)”の立てわけ方に三つの仕方がある。

 

日蓮の法門は第三の法門である。

世間においては、あらあら夢のように第一、第二については述べているけれども、第三の法門については述べていない。

第三の法門は天台・妙楽・伝教もあらあらこれを説き示しているけれども、いまだに説ききっていない。

 

結局、末法の今に譲り与えたのである」(九八一頁)と述べています。

 

日寛は六巻抄で上記御文を引用し、

 

第一の法門は権実相対で「但法華経」。

第二の法門は本迹相対で「本門寿量品」。

第三の法門は種脱相対で「文底秘沈」、と立て分けて解説し

 

「是れは種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本懐なり。ゆえに日蓮が法門と云うなり。

今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意ここにあり。学者深く思え云々」(三重秘伝抄)と述べました。

 

釈尊は法華経を説くなかで自分の限界をいたるところで明言しています。

 

それは釈尊の仏法では救済できない“末法”のことを考慮して、

その時のために地涌の菩薩に「根源の法」を託した儀式を見ても明らかです。

 

実際、釈尊も寿量品のなかで

「我れは本(も)と菩薩の道を行じて」(本因妙)、「我成仏してより已来」(本果妙)とは表明していますが、

釈尊が“いずれの法”を根本として菩薩行を成し、仏になったのかは明らかにしませんでした。

 

これらは釈尊の教えである法華経も、それ自体が仏法の究極ではなく、

最高の教えに至る一歩手前で踏みとどまった経典であることを物語っています。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】24/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時56分50秒

  しかし、釈尊が自らの限界を自覚できるということは、その限界を超えるものを知ってはじめて可能になります。

 

自らの限界を自覚していること自体が“釈迦仏法の有限性”を示し、

自らを超える究極の「偉大な法」があることを指し示しているのです。

 

上記の御文にもあるように、大聖人は第一(権実)第二(本迹)の法門より、

今一重立ち入って第三(種脱)の相対を独自に立てられ、これを「日蓮の法門」としました。

 

その文証が上記、開目抄の御文であり、

 

観心本尊抄では

「在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」(二四九頁)、

 

御義口伝では

「此の品(寿量品)は在世の脱益なり。題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益、滅後は下種なり。

よって下種を以て末法の詮と為す云云」

 

となります。

 

開目抄の「ただ天台大師のみがこれを内心に悟っていた(通解)」(一八九頁)とは、

 

天台大師は第三の法門である“種脱相対”を内心では知っていたけれども、時と機がなく付嘱もないゆえに、

自行として南無妙法蓮華経は唱えはしても、化他としては妙法の名字をかえて「止観」と名づけ

「一念三千の法」の理論を説いただけに留まったという意味です。

 

大聖人は“第三の法門”が末法に弘通する大白法であるとの大確信を表明して

 

「種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(二三二頁)と断言しました。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】25/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時57分39秒

  しかし「時」の重要性を示した“撰時抄”を読んでいると、ある疑問に突き当たります。

 

その疑問とは、撰時抄に

 

「仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教の

いまだ弘通しましまさぬ“最大の深密の正法”経文の面に現前なり」(二七二頁)とあります。

 

これは仏の滅後において、末法にいたる二千余年の間にさまざまな仏法流布の指導者が数多く輩出されたが、

彼らがいまだ弘通していない最大の深密の正法(三大秘法)が経文上に現前と説かれているという意味ですが、

 

開目抄には「一念三千は文底秘沈」と語っているのに、撰時抄では「三大秘法は文上に現前」と説いています。

 

“一念三千”と“三大秘法”は同一の法体を示したものですが、

 

なぜ、一方では「文底」といい、他方では「文上」といわれたのでしょうか。

 

さらに別の御書を読んでも同じ疑問が浮かんできます。

 

たとえば

「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(一五四六頁)

と述べられており、妙法以外の一切を否定しています。

 

ところが、撰時抄の上記の文は法華経を肯定して用いる立場を表明している。

一方では否定し、他方では肯定するという二つの相反する考え方が、なぜ御書のなかで示されているのでしょうか。

 

大聖人の思想を正確に理解するうえで、この部分の解明は避けては通れない問題だと思う。

 

なぜなら、池田先生が亡くなったあと、退転者や反逆者、また二流三流の評論家や学者たちが

 

「日蓮の御書や池田名誉会長の指導には二つの相反する考え方があり、

自語相違も甚だしく哲学的に見ても一貫性がない。そんなものを信じているから不幸になるんだ」と、

 

一つひとつ自語相違の文証を出されて日蓮仏法も池田思想も完全否定されたら、皆さんならどう応戦しますか――。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】26/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時58分21秒

  ここからは少しむずかしい言い方(表現)になるかも知れませんが、

この問題を解明するために、しっかり研鑽し思索していきましょう。

 

それでは始めます。

 

大聖人の思想を正確に理解していくうえで大事なことは二つあります。

 

一つは「依義判文と依文判義」、もう一つは「相待妙と絶待妙」です。

 

まず、依義判文とは“義に依って文を判ずる”と読み、義によって文を解釈するという意味です。

それに対して、依文判義とは“文に依って義を判ずる”と読み、経文に説かれている文により、

仏の説いた真実の義を解釈するという意味です。

 

「義」は文によってあらわされる思想であり法理です。「文」は説かれた経文のことです。

 

これらを一般的に見た場合、

普通は“文と義”の関係は、文章(経文)によってその思想や法理があらわれるものです。

 

だから解釈する側にしてみれば、思想や法理は文章(経文)によって得られるのであり、

思想や法理によって文章(経文)を解釈するということは不可能なはずです。

 

しかし、よく考えてみると、人間はある文章(経文)に遭遇した場合、

それ以前にさまざまな人生経験や学問によって「義(思想・法理)」の会得に通じる概念をもっています。

 

だから自分が会得した「義」によって、その文章(経文)が何を意味しているかについては“考える”ことができるのです。

 

つまり、自分が会得した義によって文章(経文)を解釈するということを日常的に実践しているわけです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】27/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時59分8秒

  大聖人は

 

「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。

爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」

(一二七四頁)と述べています。

 

この御文は天台の著した十章からなる“摩訶止観”の

正しいとらえ方を示した大聖人の著作“十章抄”の文なのですが、

 

この御文の意味は、

 

確かに天台大師は「一念三千の法門」を法華経方便品(迹門)の十如実相から導き出して立てたが、

その一念三千の義(思想・法理)は本門によっていると述べます。

 

そこから大聖人は、

爾前経の経文はより次元の高い法華経迹門の義(思想・法理)によって解釈し(依義判文)、

法華経迹門の経文はそれよりさらに次元の高い法華経本門の義(思想・法理)によって解釈しなければならない(依義判文)

 

と訴え、

 

経文自体がそのまま義(思想・法理)をあらわしているのは本門だけ(依文判義)であると結論しました。

 

そしてその本門寿量品(文上の義)を、大聖人はさらに一重深く立ち入り、

文底に秘沈されている「文底の義(事の一念三千)」を拾い出し、

 

末法の衆生のために “人法一箇の南無妙法蓮華経”である「本尊」を顕します。

 

大聖人がなぜ

 

「経文に明ならんを用いよ。文証無からんをば捨てよとなり」(四八二頁)といわれて

経文上の明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えは用いてはならないと戒めたり

 

「文無く義無きは信受すべからず」(二一九頁)と天台の言葉を引いて

経典(文)も道理である義(思想・法理)もない教義を信じてはならない、と厳しく戒めるのかというと、

 

そもそも大聖人の“事の一念三千”の義によって法華経の文を解釈するといっても、

この“事の一念三千”の義は、法華経の文を超えたところ、すなわち「文底」に秘沈されているものです。

 

しかし、だからといってこの「文底の義」は法華経の文を離れたところにあるのではありません。

 

要するに、大聖人の“事の一念三千(三大秘法義)”は、大聖人が勝手に造ったものではなく、

釈尊も知り、ひいては三世の諸仏も天台も伝教も知っていたのです。

 

ただ、私たち凡夫が簡単に見透すことができないだけで、大聖人からすれば

 

本門寿量品の“文上の義”によって“文”を解釈するとともに、

その“文”のなかに“文底の義”があることを明らかにすることができるのです。

 

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】28/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時59分56秒

  ではなぜ、大聖人は「文上の義」によって「文底の義」を拾い出すことができたのでしょうか。

 

今度はそれを考えてみましょう。

 

まず結論からいうと“文上の義”から“文底の義”を拾い出した理由は、

 

大聖人が法華経を理論上で解釈しただけでなく、法華経をわが身で体験(身読)し、

人生最大の法難である竜口・頸の座で発迹顕本したからです。

 

釈尊(文上の義)の発迹顕本は、久遠とはいえ「五百塵点劫」の成道が一切の根本であり、それが釈尊の本地です。

 

これに対して、大聖人(文底の義)の発迹顕本は、

 

五百塵点劫よりもっと前の「久遠元初」が一切の根本で、これが大聖人の真の本地であり、

その身そのままの姿で、久遠元初(根源の法)を体現したのです。

 

いわゆる「直達正観(即身成仏)」といわれるものです。

 

釈尊を仏たらしめた「根源の法」が久遠元初の南無妙法蓮華経であると覚知し、

大聖人の身に涌現(一体)して、一人の人格者として顕れた――。

 

久遠元初の「主師親の三徳」を体得し、その境涯で文上の義を見れば、

その文底には厳然と“三大秘法の義”があると見たのです。

 

大聖人は“直達正観”した事の一念三千たる南無妙法蓮華経を

末法の衆生を救済するための「本尊」として図顕し

 

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。

当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(一三三九頁)と師子吼しました。

 

よって末法の衆生は、その御本尊を受持し自行化他の唱題行に励むだけで「即身成仏」できる、

 

というのが日蓮教学の結論なのです。

 

 

・・・つづく

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】29/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時35分20秒

  池田先生は『新人間革命・灯台の章』で、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦についてこう語っています。

 

「日蓮大聖人の仏法は『直達正観』、すなわち『直ちに正観に達する』といって、即身成仏の教えです。

大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法です。

 

深淵な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、

一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります。

 

極端な話になるかもしれませんが、釈尊の仏法並びに天台の法門を、テレビに譬えて言うならば、

法華経以前の釈尊の仏法は、テレビを構成する一つ一つの部品といえます。

 

そして、テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにしたのが法華経です。

さらに、テレビがどんなものかを、理論的に体系づけたのが、天台の法門といえます。

 

それに対して、日蓮大聖人は、テレビ自体を残されたことになる。それが御本尊に当たります。

 

もったいない譬えですが、私どもが御本尊を持ったということは、

既に完成した立派なテレビを手に入れたことになります。

 

部品を組み立てたりしなくとも、理論はわからなくとも、すぐに見ることができる。

しかし、テレビを見るためには、スイッチを入れ、チャンネルを合わせなければならない。

 

それが、御本尊への信心であり、仏道修行です。具体的な実践で言えば、唱題と折伏です。

それによって、即座に希望の画像を楽しむことができる。これが『直達正観』の原理です」

 

(二〇一一年六月二十一日 聖教新聞)と明快に述べられています。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】30/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時36分10秒

  さて、もう一つの「相待妙と絶待妙」についてですが、

 

大聖人は“一代聖教大意”のなかで

 

「この法華経(妙法蓮華経)には二つの妙がある。

天台も法華玄義のなかで『この経はただ二妙を論ず』とある。

一には相待妙、二には絶待妙である(通解)」(四〇三頁)と述べています。

 

“相待妙”というのは、伝教が法華秀句のなかで

「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」(三一〇頁)

 

と語ったように、

 

釈尊の一代聖教は、浅い哲理より深い哲理へと順次に相対させて、

哲学上の価値判定を繰り返し、より求心的に最高究極の哲理を求めて、

一代聖教に説かれたそれぞれの教理の位置付けと役目を規定する重要な原理の一つです。

 

五重の相対はこの相待妙にあたります。

 

それに対して“絶待妙”は

 

「一代聖教は即、法華経であると開会する(通解)」(四〇三頁)と述べています。

その意味は、一代聖教は妙法の哲理をあらわそうとしたものにほかならないと知ってその立場から用いていくことです。

 

御書には「法華経には『治生の産業は皆実相と相違背せず』と宣べ」(一四六頁)とあります。

 

宇宙に存在する一切のもの、一切の現象は、一法として余すところなく妙法の影を明確に映し出す鏡であり、

妙法を根底とし、直結することによって、その影は影で終わることなく実体があるものとなります。

 

相待妙・絶待妙の二つ(二妙)は、どちらか一方だけが真実なのではなく、

相待妙をふまえた上での絶待妙であり、絶待妙という哲理に至らなければ相待妙も意味がないのです。

 

こうした法華経思想の根底に一貫して流れる基本的な考え方が「相待妙・絶待妙」の哲理です。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】31/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時36分54秒

  この哲理を理解した上で「五重の相対」を見ていけば、相対論で否定された諸経(権・迹・脱益)といえども、

真実(根源の法・南無妙法蓮華経)を説き示すために設けた方便であって、その本質は真実への道を指し示しているのです。

 

つまり、絶待妙の立場から爾前の諸経を見れば、諸経は「根源の妙法」を機能的に応用展開したもので方便即真実となります。

 

天台も法華玄義のなかで

 

「皆、本仏の因果の理法(根源の法・南無妙法蓮華経)を随縁的・機能的に応用展開し、

五時八教(天台の教相判釈)を用いて、種々の衆生のために法を説き仏事をなしていったのである」

 

と述べていますが、これは絶待妙を解明したものです。

 

以上、「依義判文・依文判義」と「相待妙・絶待妙」の二つを通して、

大聖人の考え方の発想の基盤を解明し、大聖人の第三の法門「種脱相対」を見てきました。

 

一度整理します。

 

種脱相対は釈迦仏法と日蓮仏法の相対のことをいい、末法で説く「本門」とは、

釈尊の説いた法華経本門ではなく、大聖人が初めて説いた「文底独一本門」のことを指します。

 

“事の一念三千(三大秘法義)”とは、発迹顕本した日蓮大聖人の生命(魂)を

そのまま一幅の漫荼羅として書き顕したのが「本門(人法一箇)の本尊」であり、これが大聖人の出世の本懐です。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】32/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時37分40秒

  日寛は六巻抄(文底秘沈抄)で大聖人の出世の本懐を、

万人が理解しやすいように御書・経文を通して分かり易く整理してまとめています。

 

それを簡単に説明すると、まず方便品の

「諸仏世尊は、ただ“一大事”の因縁をもってのゆえに世に出現したまう」(妙法蓮華経一二〇頁)

 

の文を引いて「一大事」の言葉が、すでに三大秘法を意味しているとして

 

「一は本門の本尊(一閻浮提第一の故)、大は本門の戒壇(受持即持戒の故)、事は本門の題目(事を事に行ずるが故)」と述べています。

 

次ぎに御書(法華取要抄)の「問うて云く如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の

残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(三三六頁)

 

の文を引いて

「此れは是れ文底秘沈の大事・正像未弘の秘法・蓮祖出世の本懐・末法下種の正体」として、

 

一大秘法を「本門の本尊」、それを開いて三大秘法の「本門の本尊・戒壇・題目」になると解説し、

 

それをさらに詳しく説明するために「本尊(人・法)、戒壇(事・義)、題目(信・行)」と六大秘法に立て分けて整理しました。

 

この日寛の解説はじつに簡潔で、非常に鋭い視点で御書・経文を精査してると思う。

 

それでいて誰もが納得できる論理展開です。

 

御書全編を精読すれば、一大秘法・六大秘法という言葉が文中に無くても、その“義”は厳然とあります。

たとえば、開目抄(人本尊開顕)・観心本尊抄(法本尊開顕)などは、その最たるものです。

 

人法一箇の当体――それが日蓮大聖人であり、御本尊です。

 

末法今時は、その御本尊(本門の本尊)を安置し、大聖人の御書を根本として、

御本尊に向かって唱題している自分自身とその場所自体が「本門の戒壇」になり、

その本門の本尊を信じて自行化他の題目が「本門の題目」となります。

 

要するに、三大秘法といっても一大秘法(本門の本尊)があって、

初めて本門の戒壇・本門の題目という「三大秘法の義」が成立するのです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】33/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時38分33秒

  むずかしい表現になりますが、本門(人法一箇)の本尊とは、

 

法のうえからいえば「事の一念三千即南無妙法蓮華経の本尊」であり、

人のうえからいえば「久遠元初の自受用報身即末法御本仏日蓮大聖人」です。

 

宇宙根源の法である「三大秘法の南無妙法蓮華経を信じる」といっても、それは「理」であって「事」ではありません。

 

事を事たらしめるのが日蓮仏法なのですから、日蓮大聖人を離れて三大秘法はなく、御本尊を離れて三大秘法もないのです。

 

牧口先生や戸田先生と親交の深かった大石寺・日淳は大聖人の“教”についてこう説明しています。

 

(※読みやすいようにしました)

 

「世間では大聖人の“教”は題目にあると思って題目を主として御本尊をいいかげんにする者が多いのであります

・・・多いどころではなく皆そのように考えておりますが、これがために大聖人の“教”をはき違えるのであります。

 

元来このような考えは南無妙法蓮華経は法であるとのみ考えるからでありまして、

宇宙に遍満する妙法の“理”が題目であるとするからであります。

 

これは大変な誤りで南無妙法蓮華経は仏身であります。

すなわち“法・報・応”三身具足の当体であらせられ“報身”の中に具したまうのであります。

 

妙法の理は天地の間にありましても、それは理性であります。

実際には仏の御智慧のうちにのみ、厳然として具わりたまうのであります」(日淳全集九八二頁)

 

と明快に述べています。

 

つまり、根源の法である南無妙法蓮華経(本尊)は

大聖人の「事(発迹顕本)」を離れてはない、あるとすればそれは「理」であるということです。

 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】34/34  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月17日(日)08時39分24秒 編集済

  結論していえば「観心の本尊」とは、大聖人が竜口で発迹顕本し、

わが胸中(報身)に久遠元初の“主師親の三徳”が顕れたご境涯をいうのです。

 

この報身を離れた妙法を以って御本尊というならば、身延の本尊や仏像本尊と同じです。

 

もし、自分の己心に御本尊があるから本尊なんてなくてもよい、という輩がいたならば、

自分を鏡に映して自身に向かって拝めばよい。

 

ただし、そういう輩は「日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(九一九頁)との警告をよくよく思索するべきです。

 

そうではなく、大聖人のご境涯を「観心の本尊」として拝し、その鏡に向かって自身を照らし、

題目をあげて御本尊と「境智冥合(自身の発迹顕本)」していくなかに、三徳の智慧が具わり即身成仏も叶うのです。

 

これが日蓮仏法を信奉する信仰者の基本姿勢です。

 

以上、五重の相対を通して日蓮大聖人の仏法が如何なる教義なのかを研鑽してきました。

 

今年(二〇一六年)一月二日、池田先生は八十八歳の米寿を迎えられました。

 

今この時に当たって、弟子が師匠に甘えるのではなく、

今こそ学会員一人ひとりが、もう一度原点にもどって日蓮教学を研鑽し理解に努め、

さらにその教義を体得して一切を見、師匠に代わって広宣流布の総仕上げをしていこうと決意する時ではないかと思います。

 

その自覚に立って今回(二〇一五年版)の創価学会会則変更(教義)を見ていけば、会則変更の何が間違っているかは明らかです。

 

この問題については「第二章」で言及していきたいと思います。

 

さて、次ぎの第二章では

 

“五重の相対”を応用して、大聖人滅後から現在までの「相対」を検証していきたいと思います。

 

 

第一章 五重の相対   ― 完 ―

 

 

※【第二章 相対論の応用展開】執筆中 スコシノアイダ マッテネ♪

 

宿坊の掲示板より