呵責の功徳

大聖人が「開目抄」で「三類の強敵があるならば法華経の行者は誰なるらん」と。 

「法華経の行者があるならば必ず三類の強敵が出るんだ」と「俗衆増上慢」それはようするに一般世間の迫害であり、その次が「道門増上慢」で、いろんな袈裟、衣を着た坊主たちが、法華経の行者を迫害し、その次に出てくるのが「僣聖増上慢」である、と。 

『撰時抄』にも「正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし」と。 

外部の坊主じゃなくて中の坊主から『広宣流布』を破戒する者がでてくる。 

もし日顕がでてこなければ『創価学会』『池田先生』は法華経の行者ではなかったことになってしまう。 

これが出てきたっていうことは,」有る意味『創価学会』が法華経の行者である、と。 

三千年のこの歴史の中で燦然と光輝く、一代、大事件であったと思うわけであります。 

 

私自身『極悪と戦えば極善となるという、宇宙最高の究極の法理を身で体験させていただきました。 

要するに 「日顕と戦うと、信じられない功徳が、ぼんぼん出てきて魂が限りなく強くなります。 

魂が最高に強くなり続けることこそが、これ以上の功徳はないと思うわけであります。 

で、全国、いろんなところで、破門以前と破門以降では、「地球の波動が変わった」。私はそういうふうに思ったんです。学会を破門する以前は、擁するに,「幸せにしてください」「病気を治してください」「世界を平和にしてください」これで功徳がでたわけです。 

ところが破門以降はですね、「悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり」悪を滅する祈りが大事だということに気がつきまして、破門が大謗法ですから、日顕という癌細胞が地球生命に発生した。この日顕という癌細胞と戦う意外に功徳は出ないことに気がついたわけです。 

破門以前と破門以降で分かれるので、破前、破後っていうのかなって思ったりしたわけです。(爆笑) 

 

日顕本尊も破門以前は功徳があったわけです。 

破門以降大謗法を犯してから日寛上人の御本尊がでました。日寛上人の御本尊にお取替えできるにも拘わらず「日顕でいいんだ」という心が謗法与同になってしまう。 

だから、功徳がでないという、こういう原理で、拝めば拝むほど、どんどん人生が悪くなっていくということに気付いたわけであります。 

大聖人の仏法というのは、ほんとうに悪いものは悪いんだと、いいものはいい、と徹底的に言い切っていくのが仏法であるというふうに思います。大聖人がいろんな御書でいわれております。

 

『若し善比丘あって法を破るものを見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば 当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり若し能く駈遣し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり』 云云。 

 

よく、聖教新聞で(自由座談会)ほんとにもう、クソみそに言って、中には『ちょっと表現がえげつないのではないのか』とか、『過激ではないか』というふうに思う方もおります。 

『仏法は慈悲なのに、なんでそんな悪口ばっかり下品に言うんだろうか』と。 

ところが、大聖人は呵責、責める、そして、追放。そして、駈遣。 

挙処っていうのは相手の罪をあげつらうってことなんですね。 

『若し善比丘あって法を破るものを見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば』っていうのは、涅槃経の経文なんです。 

相手が(日顕)具体的になにをやったのか、シアトルでなにをやったのか、 

売春婦となにをやったのか芸者遊びとはなにをやったのか、具体的にどこでなにをやったのか、

ひとつひとつあげつらうことが「挙処」であるということであります。 

 

法華経の敵を見ておいて責めなければ師匠も弟子も無限地獄である。 

そして『謗法を責めないで成仏を願わば火の中に水を求め、水の中に火を留めるが如くなるべし

あいかまえて、あいかまえて力あらんほどは謗法を責めさせ給うべし』 

 

『邪正かたをならべ大小先を争わんときは、万事をさしおいて謗法を責むべし』 

徹底的に戦え!これが大聖人の仏法であり、破折なんですね! 

要するにわれわれが信仰しててもですね、功徳を妨げる働き、 

これが『仏法は慈悲を根本とするのになんで宗門の悪口ばかりいうんだろうか』と、『自由座談会、創価新報はあまりにも過激である』と「ひとの悪口も言いたくも無ければ聞きたくも無い」と、ここでわれわれが気をつけなければいけないことが「中途半端な慈悲心」なんですね。 

人間の慈悲心につけこんでその心に入り、哀れみの情を募らせて善悪の判断を狂わせる働きを仏法では「慈悲魔」と説いております。 

 

仏教哲学大辞典にもあります。もともと学会員のかたがたは人がよく慈悲深いかたがたが多いので魔がそこにつけこんで『もうそんなに、日顕や悪侶の悪口を言わなくてもいいではないか、可哀想ではないか』と思わせて悪を見逃させる、と。日顕や悪侶が責められているのを見て、「やりすぎなんじゃないか、かわいそうなんじゃないか」と思う心は小さな善、小善でしかないんですね。 

 

かつて、牧口先生が『塵も積もれば山となるということわざはあるけれども、現実に塵が積もって出来た山はない、地殻変動によって一気に出来る、やりすぎだ、可哀想だという小善を積み重ねても大善にはいたらないんだ』と。どうすれば、大善に至れるかー大悪と戦ってこそ大善なんですね、『極悪と戦ってこそ極善である』と。これをわたしは、いろんなところで具体的に感じてきました。 

 

破門以降、勤行してもすっきりしないっていう人がいるんです。なんか胸に膜がはったように、もやーっとして、勤行が終わった後にも「はぁー」とため息をついてしまう、 

なんか重たいが分けわかんない・・ 

それは、日顕打倒を猛然と鬼のように、「絶対、許さない!」という怒りの頂点、強さの頂点で祈る、 

大聖人が、南条時光が病気になったときに、病魔に対してどういう姿勢で祈るべきかと『鬼人めらめ』と祈るんだと、その迫力で祈るということを言われています。 

 

池田先生も法華経の智恵で『阿修羅の如く戦えさせ給えと祈ることです、そうやって力が出ないわけがない』というんです。 

日顕打倒を猛然と鬼のよう打倒を猛然と鬼のように祈んないと日顕の魔には、勝てないんですね。 

ありとあらゆる日顕の魔がいろんなところに出てくる。 

それを「ぶった切る、強い強い祈り」をやって戦っていった人がですね、 

不思議な、考えられないような功徳をいっぱい出しております。 

 

①たとえば千葉の男子部の人ですけれども、中学を卒業しただけで、ほとんど勉強が嫌いで、教学は当然できないんです。御書もほとんど開いたことがない。 

しかし、池田先生を切った日顕に対する怒りは超一流だったんです。 

毎日、「日顕を倒す!」こと,これだけを毎日猛然と鬼のように祈って、 

ひとり単身寺へ乗り込んで行きまして坊主にたいして、大声で大確信で「おかしーー!!」って言ったんです。 

その坊主は、男子部に対して「君、何がおかしいんだ?」 

「学会はもう破門されたんだ」「唯受一人の血脈を否定したんだ」「三宝破壊なんだ」「血脈にも(信心の血脈)と(法体の血脈)と2通りあるんだ」「総別の二義があるんだ」などなど、いろいろ言われて御書をあまり読まない男子部には、チンプンカンプンでした。 

それに対してもう一度男子部の人は、もう一回「とにかくおかしいー!!」(爆笑)と言って帰ってきたんです。 

 その男子部の人には大きな悩みがありまして入信以来いろんな功徳の体験を積むことが出来たんですが、小学校4年生の娘さんの持って生まれた腎臓の奇形だけは治らなかったんですね。 彼は信心しても治らないと諦めていたんですね。 

ところが日顕打倒を猛然と鬼のように祈って、坊主に対して『おかしいー』を二連発やって帰ってきて4日目に、その腎臓の奇形の娘さんが完治してしまったんです。 

 医者がびっくりして、その後1週間も不思議なことが続いたって。奥さんが、「お米がない、お米がない」って言ってたらドーンとお米が届いたり、 

「ジュースがないジュースがない」って言ってたらジュースが1ダース届いたり 

「お金がない、お金がない」って言ってたら、税金の還付金が入ってきたりして。 

不思議なこと続きだったので、奥さんは幹部に「これ、いったいなんでしょうね?」って言ったら 

「それは、ご主人が悪を責めた功徳だ」と言われたそうです。 

 

②そのほかにもある地方の男子部の広宣部長ですが、 

池田先生を切った日に日顕を絶対許さない鬼のように祈って戦ってきたらば、駅前のアパートを突然大家さんから立ち退きを命じられまして 

はたと困りまして、幹部に相談しましたら「だめで元々と思って、立ち退き料を請求してみたら」って。 

そして「すみません大家さん、立ち退き料もらえませんか?」って言ったそうです。 

「じゃ~、弁護士に相談してみます」って言われて帰宅。 

それから「日顕を倒す」鬼のように祈ると同時に「50万、50万」って祈りだしたんですね(爆笑) 

何故50万かというと、引越しの見積もりをだしたらば、40万とでたので、「10万の儲けはなにがなんでも出す」って、祈ったんです。 

 そうして何日かしたら大家さんから電話がかかってきて、「立ち退き料を払うことになったから取りに来てください」って『やったー!50万だ』と大確信で取りにいきましたら、 渡された封筒が、50万のわりにはやけに分厚い。 

胸騒ぎを感じて、家へ帰り、恐る恐る中を見たらば、50万どころか、1100万円入ってたんです。 

 

③その他にも函館の壮年部で、B長をやっている人でですね、会社が倒産寸前。 

その会社は、競馬の競走馬を売る会社で、不景気で馬が売れなくて借金まみれになって、 

家賃も払えなくなって、倒産寸前で、最後に自分の懐に残った現金3000円だったそうです。

ある幹部に相談したら「この不景気を突破する祈りがあるんだ。 

立証安国論に、『如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』とある。 

商売繁盛させてください、病気を治してくださいとか慢の祈りやってたんではだめだよ、極悪坊主を叩き潰す祈りを猛然とやれ」といわれて、それまでは、彼は北海道の函館に住んでいるし、日顕は富士宮にいる。 

会ったことも、見たこともなく、いじめられた思い出もなく関係ないと思っていたんです。 

それが、「関係あるんだ!」と言われ、日顕打倒を猛然とやりだした。 

 翌日、競馬の馬が3頭売れて、2000万入ってきたんです。 

その後も、立て続けに売れ、結局1億円儲かってしまったんですね。 

大歓喜、大感動、大感激で、このご恩をどうやったら恩返しできるかということで新聞啓蒙決意。 

3週間で27部を一人でやり全国制覇したんです。 

 

④東京の壮年部で中国書画の行商をしていて絵が売れなくて、借金まみれで首も回らなくなってどうしよかっていったときに 

「日顕打倒を猛然と祈ってごらんなさい」っていわれて半信半疑でとにかく日顕打倒を猛然と祈った翌日、2~3万しか値打ちの無い絵をですね、100万円で買いたいっていう、お客が現れて、 

しかもそれを2枚買いたいって、それでその絵に非常に感動して「こんなにいい絵をありがとう」っていって200万円プラス50万円おいてった。250万わけわかんない」って・・ 

 

⑤長野の女性社長で婦人部の人で、チンピラに1年間ゆすられ、たかられ脅かされ、 

数十万のお金を払わなきゃいけない状況になっていたそうです。 

毎日、びくびくする生活を送っているうちに、いつのまにか、臆病な祈りになっていたんです。

大聖人が「臆病にては叶うべからず候」だと、じゃどういう祈りが叶うのか― 

「法華経の行者の祈りは必ず叶うんだ」とある人からいわれて、 

法華経の行者のいのりとは、大聖人が竜の口の首の座に連行される途中に、大聖人を守んない諸天に対して、 

若宮八幡宮の前で馬を下りて八幡大菩薩をかんぎょうするんですね。 

「もの申す!貴様らまことの神か!」「しっかり働け!」 

それですぐに働いて、江ノ島の方角から光物を飛ばして大聖人を守ったと、 

これが法華経の行者の祈りです。「日顕打倒、絶対許さない!」と祈りなさいといわれた。 

発想の転換です。それまで、「諸天善神どうか、お願いします」って。  

そしたら、 「そんな祈りでは働くわけない。」「諸天善神しっかり働け!」(爆笑)と、こう祈れと。 

 そうしたら、すぐに働いて、そのチンピラが本物のヤクザにボコボコに暴行受けて、入院してしまった。 

ヤクザから「奥さん、あんたがいままで人生まじめに生きてきたから、神様が守ってくれたんだろうね」なんていわれたそうです。ヤクザを諸天に変えた婦人の祈り、と。  

 

とにかくですね、こういった、考えられないような体験がいっぱいあります。 

そういう体験をバンバン出した人に共通していることはですね、 

 「祈りの順番をかえたんですね、ほら、ランキングがあるじゃないですか、 

第一位、新聞、第二に折伏、第三位、商売繁盛、第四位」、第五位、六、七、八、九、十、十一、十二、十三番目あたりに、付録のように 日顕打倒ってやっていたのを いの一番に持ってきたら、とたんに、出だしたんです、わけのわかんない功徳が―。 

目が見えるようになった人ですとかね、 

70歳のおばあさんが、同居していた90歳のおじいさんから、いきなり、50万もらったり、

あと、易者が諸天にかわったっていう体験もあるんです。 

 

⑤熱心に頑張ってる婦人部の人の娘さんが 

女子部時代頑張っていた人が結婚して、学会大嫌いな家に嫁いだものでご本尊を返して退転してしまったんです。 

娘さんは、子供が生まれても死んでしまったり、ご主人の会社が倒産してしまう、 

何年も不幸が続いたので、嫁ぎ先の学会大嫌いのお母さんが、易者に見てもらったほうがいいと、 

易者につれていき、いろいろ身の上話しをしているうちに、易者が 「あなたは、以前何か宗教をやっていましたか?」ってお嫁さんに聞きました。 

 「はい、実は創価学会やってました。」 

そしたら易者が 「なんでやめたの、人生生きていくためには宗教は必要で、宗教もいろんな宗教がある、 

そのなかでも仏教が最高のおしえである」って言いだしたんです。 

「仏教でもなんでもよいかというと、そうでもない!釈迦の教えは低い教え、日蓮の教えが一番最高の教え、だから、日蓮の曼荼羅もらいなさい」 

よくよく聞いたら、その易者は元身延の坊主で、 

私は、身延の寺に知り合いがいっぱいいるから紹介してあげるから  20万で売ってあげるから」って言われ 

「そんなお金はありません」っていったら 「じゃ~、あなたのお母さん、学会員なら創価学会で日蓮の曼荼羅もらいなさい」と、 

身延の易者に説得されて学会に戻ってきた(爆笑)という体験もあります。 

 これは、このお嫁さんのお母さんが、猛然と日顕打倒祈っていたからそういう結果がでたんです。 

 

⑥静岡の浜松でも、土地が売れて億単位の功徳、婦人部で3人でてます。この功徳の体験というのは枚挙に暇がないです。 

 

⑦イチョウの木を祈り倒した地区婦人部長の体験というのもあります。 

市とか県で植えてる太い木が家の前にあって太陽の」光をさえぎり、落ち葉を毎朝、2時間掃き掃除で、 

題目もあげられなくて、披露困憊して「この木さえなければ!」って信心の魔だったんです。 

ある日日顕打倒、猛然と祈っていたら外で「バキ!」って音がして外出たらとくになんでも無いので、 

もう一度気をとり直して日顕打倒、猛然と祈っていたら『バキバキバキ、ドーン』と音がして何かと思って外に出てみると、 

こーんな太い「木」が根元からパックリ折れて― 

そんな木が家に倒れてきたら大変だし車の通る道路に倒れたら危ないし、人に倒れてきたら、大怪我するし、どうしようもなかったんですけれども、狙い済ましたように、ここしかないっていうところに倒れていたんです。 

県か市の方に電話をしてきてもらったら、「これは危ない」ということで「これが危ないっていうことは、他の木も倒れる可能性があるということで 

周りの木全部切ってもらってすっきりした。 

 日顕打倒ってやったらイチョウの木を打倒した(爆笑) 

とにかくですね、ものすごい体験がいっぱいあります。 

 

⑦私が一年数ヶ月前に脱稿させた、おばあさん。 

一年数ヶ月前までは「ご法主上人猊下様」なんていってた人です。 

私がある会合で「日顕打倒を猛烈に鬼のように祈るといっぱい功徳がでますよ」というと、 

その人は悩みがあって、アパートを6部屋経営していて、二部屋が埋まらなかったんです 

「なんとか二部屋うまりますように」と祈ってきたが駄目だったんです。 

ところが、日顕打倒を猛然と祈るといいことがあるといわれたので、息子さんと二人で仏壇の前に座って見よう見真似で「日顕のバカヤロー」っていいながら猛然と祈って2分30秒が経過したときに「ピンポーン」って鳴って出てみるとなんか分けわかんない、へんなおじさんが立ってて 

「アパートいま何部屋、空いてますか」って。「二部屋空いてます」「じゃ、借ります」と即決。 

即効性があります。破壊力たるやすごい! 

『悪を滅するを功といい、善を生ずるを徳というなり』 

 なんでこういう結果がでるかというと、日顕打倒をを猛然と祈るとそれまで宗門問題がきて、もやーっと、祈ってもなんかすっきりしないというのは日顕の魔なんですね。猛然と祈ることによって、もう、雲散霧消していきます。 

すっきり、くっきりパナカラーになる・・・(笑い)自分が劇的に変化しますから、生命が変わるんですよ! 

 

生命もかわる、細胞も変わる, すべてが一変するので、一念三千の原理で環境が変わり始めて、不思議な功徳がいっぱいでてくるんです。 たちどころに。 

これ、法則ですから、だれがやってもそうなるんです。 

ただ、功徳の出方は千差万別、十人十色でいろいろあります。 

たのしみに、なんか変化が出てきますから実験していただきたいと思います。

 

そういう、功徳の体験というのは学会の草創期にはいっぱいあったんです。

なぜ、あったか。邪宗教を破折したからなんです。 

謗法と戦ったからなんです。 

池田先生が昭和35年の5月3日のときに、『創価学会は全大衆の最大の味方であります。 

敵は、邪宗教です。邪宗教は人々を地獄へ落とす。正法は人々を仏にする。 

そのあらゆる一切の不幸の本源は、邪宗、邪儀にあり!という大聖人の御金言があります。 

この御金言通りに、獅子吼なされたのが、戸田先生です。この戸田先生の邪宗撲滅の大精神を精神として、いま再び門下生一同は、邪宗撲滅に猛然と襲いかかっていきます。 

そうに云われて、当時の学会のライバルである、立正佼成会・天理教・身延、といろんなところと戦ったんです。 

この戦った功徳によって、全国の人たちが、大功徳を爆発させて、日本列島が元気になってですね、日本の高度経済成長があった。仏法の普遍の原理なんですね。 

 

今はですね、邪宗教のことを他宗なんて言ったりするわけです。なんで、他宗というかというと

ようするに、謗法の定義、邪宗の定義はなにかというというと「顕謗法抄」に『正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり』と。 

その人から正法を捨てさせる、通力のある人間や団体が謗法なんですね。いま、学会をやめて天理教にいく人はいないんです。 

そんな珍しい人はまず、いないんです。学会より立正佼成会のほうが魅力があるとかいう人はいない。 

神社にお参りして鳥居くぐって、頭痛くなって、退転する人はいないです。 

むかし、信じられないけどそういう人がいたんです。もう、頭がガンガン痛くなってー。 

神社の前を母子連れが通リかかったときに女のこの手を引っ張って、一目散に走って逃げていくとかですね。 

ところが今は神社、仏閣を30件ぐらいハシゴしてもピンピンしてる、と。(爆笑) 

学会員を退転させる通力はもうないんです。他宗派は。「ノー、プレグラム」 問題無い、ということなんですね。 

 

では、「邪宗教」とは何か?学会を退転させる通力のある団体はどこか? 

日顕宗・大石寺です。だから、邪宗教なんです。 

だから、戦うと元気になって、功徳がバンバンでてくるんです。 

すごいですよ、一気にガーッとかわるんです。