心の病に悩む友へ

病苦(ふゆ)の日も 
祈り祈りて 
明日(あす)の勝利(はる) 


「河合 一 さんからのお手紙」 

このお手紙は、私の友人が、一生懸命に学会活動をしているにもかかわらず、よくならない「心の病」に悩んでいる時に、河合 一さんに宛てたお手紙の返事です。本人から、「同じ悩みを抱えている友のためになるなら」との了解のもと、掲載させて頂きました。                            

 

朗らか太郎

お手紙、拝見しました。昨年2月に定年で退職したので、転送されてきたため、ご返事が遅くなりました。日蓮大聖人は、「夫れ人に二病あり、一には身の病…二には心の病…仏に有らざれば二天三仙も治しがたし」(中務左衛門尉殿御返事、1178ページ)と仰せです。「心の病」は仏でなければ治せないし、仏ならば絶対に治せると教えているのです。このことを確信すれば、心の病は治り始めるでしょう。

 「心の病」というのは、ただ心が弱っているのではなく、生命そのものが弱っていて、「落ち込んで」いる状態をいうのです。そのために、自分自身が思うようにならず、すべてに意欲がわかず、努力しようとしても続かず、不安でたまらなくなり、あせってますます落ち込む、ということを繰り返す状態になるのです。信心していても、御本尊に向かう一念が定まらず、決意したとしても持続できず、不安と不信の心に支配されているのでしょう。

 あなたの場合、それは「信心が惰性」だからではなく、病気のせいなのです。ですから、ほかの人と同じように、「頑張って、変わろう」と思わないことです。「頑張ろう」と思っても、「頑張れない」ので落ち込むだけだからです。例えば、長い間の病気で、体力が弱っている人が、健康な人と同じように激しい仕事をしようとしたら、無理なだけではなく、ますます体力が弱ってしまうでしょう。まず、十分に体力を回復してから、仕事をするのが常識です。

 それと同じで、あなたの場合も、弱りきっている生命力を、少しずつでも強くしていくことが先決なのです。ウサギとカメが競争をして、カメが勝って、という説話がありますが、あなたはウサギ(他の人)のようにピョンピョン跳んでいくのではなく(それは無理ですから)、カメのように遅くても着実に前進して、「最後には、必ず勝とう」ときめていくことです。

 勤行や活動も、具合の悪い時は、やらないことです。なぜなら、池田先生が、「信心は義務ではない。幸福への権利」と指導されているように、「やらなければならない」と思ってやると「義務」になり、重荷になり、苦しくなるからです。勤行・唱題は、生命を強くするための、「命のトレーニング」といえるでしょう。少しずつでも、命を強くするために、「祈る」ことが根本です。「絶対に治る」「絶対に治りたい」「治してください」と願いながら、題目をあげることです。

 しかし、体調が悪い時に、無理なトレーニングをやれば、かえって体をこわしてしまうように、勤行も具合が悪くてできない時にはやる必要はありません。まして、活動しなければ、折伏をしなければ「宿命転換はできない」などと思い込まないことです。重荷になるだけだからです。

 あなたが、病気を治して、健康になった姿を示すことが、折伏になり、仏法の証明になるのです。今、あなたが仏法は素晴らしいと語っても、相手に「感応(生命で感ずること)」しないでしょう。かえって、成果にあせって、信仰の押しつけになってしまい、不信を招くことになります。信心は、「頑張るため」にやるものではなく、「頑張っていれば変われる」のでもありません。生命・生活が「変わる」ための実践なのです。「治るのだろうか」とか、「どうしたらいいのだろうか」と、不信だったり、迷っていたのでは、「変われない」でしょう。

 日蓮大聖人は、「元品の無明を対治する利剣は 『信』の一字なり」(751ページ)と仰せです。生命の根本の迷いを断ち切るのは、御本尊を「信」ずることしかないのです。「絶対に治る」と信じることだけが、あなたを「蘇生」させるでしょう、そして、少しずつでも、「治そう」という題目をあげていけば、必ずよくなっていきます。よくなってきたら、自分ができる範囲で活動をしていくことはかまわないでしょう。

 皆さんは、あなたを早く元気にしようと、「(勤行・唱題や活動を)頑張ろう」と励ましてくれるでしょうが、「だから頑張らなくちゃ」とは絶対に思わないことです。今までは、それで失敗したのですから、どこまでも、自分のペースで「頑張る」ことです。そして、生命が強くなれば、他の問題はすべてよい方向へ変わっていくでしょう。もちろん、そうした具体的な願いを祈っていくことは自由です。


 河合  一    ○○様へ
病苦(ふゆ)の日も 祈り祈りて 明日(あす)の勝利(はる)

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コメント: 32
  • #32

    tamako (水曜日, 12 4月 2017 14:24)

    <(月曜日, 17 11月 2014 22:10)>
    <I様からのコメント に対するコメントです。

    「心の病」と一口にいっても、うつ病は「脳の病気」でもあります。
    ここが、
    (精神的に迷路の中にさまよう時期が何十年もありました。)
    (心を深く病んで、解決方法を望んでいる人)
    と言うような、いわゆる悩みがあって心が病になっている状態の人とは
    かなり異なる病気です。
    うつ病は悩みがあるから病気になって悩みのせいでいつまでも治らないわけでは
    ありません。
    悩みがなくても「苦しい状態」になってしまうのがうつ病です。
    脳という臓器の病気なので、そこが普通の「精神的な病気」と大きく違います。

    まず、「脳(体)を治さないことには」心が動きません。
    いくら、「心(=実は脳の一部。海馬とか扁桃体とか)」の師となれ、と
    言われても、脳が機能障害を起こしているので心や感情は動かないのです。

    そこが、難しいところなのです。



  • #31

    k (金曜日, 31 3月 2017 02:26)

    もう一度、原点に帰って、日顕ぶっ殺す題目を上げようと決意しました。

  • #30

    奈須 大 (木曜日, 12 1月 2017 04:57)

    おはようございます。
    私は躁うつ病です。通院が19年前から。病院は何度も変えました。最近、反復性うつ病から躁うつ病の診断となりました。病院の先生はあなたの病気は持って生まれたものですから、と言われ、まさに願兼お業だなと思いました。
    去年から今年にかけて、4度倒れ、4度立ち上がりました。昨日より職場復帰。
    勤行・唱題ができるように、なりました。

    大変貴重なご指導を読ませていただき、一段と勇気が湧いてきました。
    ありがとうございました。

  • #29

    k (金曜日, 06 1月 2017 06:42)

    その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。
    どういう法則かというと、たとえば、困っている人のため、家族のため、
    また、学会活動のため、広宣流布のため、世界平和のため、
    世の中の正義のために、戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、
    自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、
    人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。
    「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。
    それまでの辛抱だ」。「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどく
    なるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。
    つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、妙法の当体を殺している
    からなんです。同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、
    自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。
    したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。
    ちょうど、今月のSGIグラフ(2000年5月号)の中で奥様のことを池田先生が
    おっしゃられています。いつも奥様は微笑まれている。「幸せだから微笑むので
    はない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、
    幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変なときも、そこでにっこり
    笑っていく、その命に福運が増していくんだ。」という意味の一節がありましたが、
    まさに、不思議法則です。
    たとえば、「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また、
    「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」。こういうのを餓鬼道と言うわけです。
    見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。

    菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。
    有名な徳勝童子の譬えがありますね。

    みんながお釈迦様に供養している様子を見て、僕も何か供養したい。
    でも、何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で
    阿育王に生まれ変わることができたという話しです。
    ところで、もし、このとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、
    後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような
    気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。
    真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクでは
    ないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。

    一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろう
    というのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きて
    いく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?
    明らかに前者なんですね。喜んでやってらっしゃるからあんな詩が書けるの
    でしょう。嫌々、苦しみながらでは、あの写真は撮れないでしょう。

    (会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)
    池田先生の写真を見てみてください。先生の写真を見ていつも思うんです。
    あれを見ていると、ちょうど女子部や婦人部が「先生!」って言っているのと
    同じように感じません?あの花々が。我々が撮るとなかなかああいう感じに
    ならないですね。花がただそこに咲いているって感じになるんです。

    しかし、先生の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。
    そしてつくづく思ったんです。法華経というのは「喜ぶ経典」なんですね。
    池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命(いのち)に自然が感応しているん
    ですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから、「自然との対話」と
    名づけられたんですね。

    この話をある芸術部の人にしました。すると、その方が以前、先生と会食した時、
    先生が「みんなにはわからないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。
    その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。
    この不思議法則。不思議というのは妙。法則は法。すなわち、妙法なんですね。
    したがって、妙法の当体を粗末にする人は、福運を失うんです。妙法の当体を
    輝かせる人は、福運を増していくんです。現実にどういう行動をとっているかと
    いうことは大事です。しかし、自身の本心がどっちで生きているのか。
    自分の生命を輝かせ、楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、
    追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかが
    さらに重要なんですね。

    於保さんの記事から引用

  • #28

    k (火曜日, 29 11月 2016 11:49)

    催眠療法のアプリは、効果を感じました。
    普通の催眠療法では、かなり高額になるので、アプリだと安価ですし、毎日聞かないと効果はないと思いました。
    楽観的な自分になったと思います。

  • #27

    k (金曜日, 21 10月 2016 18:48)

    関東の学会員さんへ

    僕も、組織の人間関係にはかなり悩みましたが、腹が立つ人の成長と幸福を祈ることで、乗り切りました。

  • #26

    関東の学会員 (日曜日, 16 10月 2016 11:17)

    お疲れ様です。
    この指導、僕は好きです。
    今、組織の人間関係にすごくすごく悩んでいます。大袈裟な話この世から消えてしまいたいと思うほどです。

    正直、今はもう学会活動をやりたくないです。
    涙が出るほど辛いです。
    ただ、地区リーダーという立場上そういうわけにもいかず今、もうどうすればいいかわからないです。

  • #25

    k (木曜日, 18 8月 2016 15:18)

    今回の法戦で得た功徳は、心が少し強くなりました。
    今では、安定剤もあまり飲まなくなり、題目も以前より上がるようになりました。
    まだまだ、寛解まではいきませんが、師弟不二の題目で、絶対勝利したいと思います。

  • #24

    ゆーまんママ (土曜日, 16 7月 2016 17:50)

    以前も投稿させていただきました。
    体調もよくなり安定剤も飲まなくてよくなり会合に参加するぞ!と意気込むと子供が発熱、実家の父がのうこう脳梗塞で入院、母間も落ち込み、実家の家事に父の自営業の仕事の対応におわれ、本当に魔との戦いの中、会合にはなかなか参加するぞ!できませんでしたが、参議院選挙の戦いにもどうにか参加することができました。選挙をお願いするなかで悩みを打ち明けてくれ、お題目三唱や胸中題目に挑戦してくれる友人もいます。
    自宅の家事、育児、実家の家事や家業の手伝いに父の通院や医療関係のパートもあり、本当に魔が強いし、することが多すぎてまたお薬をすこし飲み始めました。なかなか、本当に病気なの?と理解してもらえずつらいこともありますが、負けずに魔を打ち破ってゆう友人にご本尊さまをもたせてあげたいと思っています。

  • #23

    こまわり (火曜日, 05 7月 2016 22:52)

    #8nonさまへ
    #22こまわりです。お母さんの病気は、多重人格障害つまり人格解離が出ているようです。ご本尊の前に座らせて勤行唱題始めると、その業が現れてくる人がいます。昔、本山の大石寺で登山会があっていた頃に、大脚殿で勤行しだしたら折伏された人が、座ったまま跳び跳ねたと聞いたことあります。「油揚げが欲しい。」だの「ロウソクが鳥居に見える。」だの、怯えて周りの人が跳び跳ねる人を押さえつけて治まるのを見届けていた。との話しを思い出しました。
    キツネ信仰が長かったりすればその様な場合が出てきます。お母さんの場合もそれと同じと思われます。
    出してあげて下さい。そうしないと何のための信仰かわかりません。
    この信心は、根こそぎ変われるんですよ。だから革命できると思います。
    うつもそうです。薬は、あくまでも補助。つまりは、やはりこの信心に行き渡る。
    方法論ではなく、法華経の兵法だと思います。必ず乗り越えられる。

  • #22

    こまわり (火曜日, 05 7月 2016 11:55)

    はじめまして。壮年部で、地区部長務めている者です。今は求職の身です。今度の選挙支援の活動は、勇気がいつもより要ります。
    魔が競っているような気がします。一度再就職を果たしたのですが、職場環境が合わす、体調崩し退職しました。「うつ」の再燃です。今度は、合っていた薬が合わす、副作用が特に強く出て、今は漢方の薬に変えています。支部内、地区内に体調不良のメンバーが特に活動家に多く、不気味な感じがしています。活動は、気分的にいい日は動いています。寝ていても、落ち着きなく、一日ツラい日々です。

  • #21

    コスモス (木曜日, 09 6月 2016 15:00)

    このページを見て、闘っているのは、悩んでいるのは自分だけじゃないのだと、力をもらいました。ありがとうございます。
    春から抑うつ状態で、生命力が湧かない状態です。ご本尊様の前へ座っても一念が定まらず、だめだなぁと落ち込みお題目が思うようにあげられません。あげられないと自分の命の境涯もどんどんどんどん下がっていく感じで、こんな姿で人と関わりたくないと思ってしまいます。お題目あげて、きれいな命になりたいと思いますが、お題目がんばれないのは、自分の弱さだと思ったり、自分のペースでどのようにがんばったらいいかわからなく、悶々としてしまいます。

  • #20

    Breeze (火曜日, 19 4月 2016 01:44)

    私は10年前から心療内科に通院しています。仕事は最高4年、転職を繰り返していました。うつ病になった時は『これは普通じゃない』と思いました。女子部として副本部長をさせて頂いていましたが、会合にも出れなくなり年齢もあり婦人部に移りました。
    しばらく休み御書を読んだり出来る範囲の活動をしていますが、組織の地域性もあるのでしょうか、早く良くなり人材に成長して欲しいと言うのが有り難くもあり、苦しくプレッシャーというのを感じてしまいます。
    自分を責め、高齢の親に心配をかけていることに申し訳なく思います。

    現在無職で公的援助を受けさせて頂いています。少し良くなってくるとアルバイトなど行動しますが思っていた人生では無いことが情けなく、若い時の様には行かず結果に焦り悪循環です。

    河合さんのお手紙心に響き安心しました。
    必ず良くなると信じ少しずつ進んで行きます。病気を治し幸せになりたいです。

  • #19

    おげちゃん (日曜日, 03 4月 2016 22:54)

    私は、うつと診断されてはいませんが、この1年ほど『勤行しなくちゃ』と思ってもなかなかすることができなくなりました。特に今年に入り娘が脱会したいと言い、婦人部長と話し合い・指導も受け、でも勤行しているところを見られると暴れだしそうで、夜はできなくなりました。4人家族で現在、信心しているのは私だけです。今、娘のこと・仕事のこと・経済的なことに悩んでいます。だからこそ勤行しなくちゃ、お題目あげなくちゃと思うんですができません。できないと『やらなくちゃダメじゃん。』と自分を責めます。ご本尊様の前に座ってもなかなかできず、気がつくと1時間も経っていることもよくありました。リフレッシュしようにも休みが無いので、どこにも行けません。ご本尊様の凄さはよくわかっています。この悩みは絶対乗り越えられる、勤行しようと毎日葛藤してますが…ダメな私です…

  • #18

    由美 (金曜日, 25 3月 2016 00:00)

    ありがとうございます。私は、躁鬱病の、障害2級です。8年前に、障害者に成りました。看護師をしていました。…24年間の中で、次第に悪化して、障害年金暮らしです。入院も、2回程、致しました。パニック障害も有りましたが、現在は、服薬なく、症状もなく、完解状態です。最近は、またグループ長に、復帰致しました。現在、53歳です。障害年金ということで、いくらか生活していける状態です。病は悪化しましたが、生活の保証があるだけ、功徳だと感じています。教学1級に、チャレンジできる時期を、待っております。多宝の、皆様の多い地区です。…いずれは、婦人部長にと、多宝の方より、期待を寄せられております。…マイペースな、婦人部長に成るでしょうが、私の使命として、広宣流布して参りたいと、思っております。

  • #17

    haruurara (日曜日, 06 3月 2016 00:05)

    私は心療内科に通院してから約10年になります。転職は何度もしました。指導受けましたがやはり続かないのです。指導通りに出来ない自分を責めました。
    河合一さんのお手紙心に響きました。今のままで良いとは思っていません。歩みは遅くても必ず元気になりたいです。

  • #16

    春野日差し (土曜日, 27 2月 2016 14:06)

    こんにちわ
    私は うつ状態になりひきこもり数年間くるしい時がありました。
    今は会合などに参加でき、題目もあげ仕事にもつけて(正社員ではないですが)
    とても元気になりました。

    今は役職もないんにもないですし、組織でやらなくてはいけないことは特にありません。そのような状況も周りの方の配慮なのだと感謝しています。

    今はできることを少しづつですが、会合などのお手伝いや仏法対話をしています。
    ストレスをためやすい性格や、長続きしない生活などその他いろいろ悩みはありますが、乗り越えて信心の素晴らしさを周りの方に伝えれらる人になりたいです。

  • #15

    ゆーまんママ (木曜日, 07 1月 2016 18:39)

    薬王さま

    コメントありがとうございます(*^^*)
    コメントいただけただけでもなぜか
    涙が出ました

    理解しようとしてくれる人がいる
    と思うだけで、もう治ったようにさえ感じます。

    ありがとうございます(T-T)

    極悪!日顕打倒の祈りですね!!!

    強く祈りたいと思います。

    池田先生、奥さまにもお手紙を書いて見ようと思います。

    病魔には負けませぬ。

  • #14

    薬王 (水曜日, 06 1月 2016 23:42)

    >ゆーまんママ様
    ■はじめまして、コメントありがとうございます。

    >自分のペースで最後には勝つと言い聞かせています。
    顔晴ってください。応援いております(^_^)v

    >辻副会長のご指導をネットでみつけてそれから、
    祈り方を変えて体調が良いときに挑戦しています!

    ■辻副会長の指導は昔から有名で、一時的に効果はありますが、
    当時はまだ日顕(第六天の魔王)が出現していませんでした。

    日顕が出現した現在では「民衆を苦しめる極悪は許さない」という
    「法華経の行者の祈り」→ (一切衆生を幸せにする決意・衆生無辺誓願度の誓い)が
    大事となっています。

    当時の指導は素晴らしかったですが、
    宿業にとらわれず、未来の勝利ため顔晴ってまいりましょ~(^_^)v

    ご参考に池田先生の『御書と師弟』より抜粋
    ☆『未来の果』を創れ
    信心とは、過去から現在、また現在から未来への幸福を照らし出す道です。
    『過去の因』に縛られ、『現在の果』を嘆く人生は不幸です。

    確かに、一面では『過去の因』があって今がある。
    しかし、今の自分の境涯を高めていくことで、
    過去の因は悪因ではなくして善因となる。

    過去に囚(とら)われない。

    いな、過去さえも変えていく事が出来るのです。

    そして、今この瞬間の一念が変われば、
    それが『現在の因』となって『未来の果』をいくらでも変えていけます。

    日蓮仏法は、太陽の仏法です。現実を変革し、未来を創る希望哲学です。

    わびしさや諦めなどない。
    くよくよ愚痴をこぼす事などありません。

    今の一念がどうか。
    それによって、常勝の道が深く、強く、出来上がっていく。

    生死流転の苦しみを断ち切り、勝利と栄光の果を創造していけるのです。

  • #13

    ゆーまんママ (水曜日, 06 1月 2016 14:20)

    このホームページを組織の方にも是非みてもらいたいです。

    とくに役職のあるかたに…

    何人かには紹介ができました。
    学会員さんは元気な方が多いので、外部の方の方が理解がある場合もあり、辛いです。

    理解してもらえず、退転されてる方も多いのではないかとおもいます。

    現代病でもあるので、理解が広まるといいなとおもいます。

  • #12

    ゆーまんママ (水曜日, 06 1月 2016 14:14)

    いろいろ探してこちらにたどり着きました!
    心がかるくなりました。

    女子部時代に三人折伏、部長、副本部長、白蓮班長までさせていただいて、そのおかげで自分の宿合を出していただきました。抑うつ状態になり、1年程仕事も学会活動もできなくなりました、その後もしょうせきのうほうしょうという難治性の病気にもなりましたが、回りの方のお題目のおかげで徐々に活動にお題目に挑戦できるようになり、結婚もでき、自宅も新築、子どもも障害もない元気な男の子をさずかることができました。 婦人部になりヤングの役職も頂きましたが、軽い不眠症になり、また活動ができなくなりました。 自分のペースで最後には勝つと言い聞かせています。辻副会長のご指導をネットでみつけてそれから、祈り方を変えて体調が良いときに挑戦しています!

  • #11

    咲子 (木曜日, 10 12月 2015 04:31)

    私も投薬しながら学会活動してます。でもわかってくれない幹部が多くて辛い。私の事分かってほしくて無理して活動してます。こんなんだから歓喜わかないし折伏もできないから幹部からはダメ人間の烙印おされてます。悲しいです。信心やめたい。でも地獄に落ちたくない…私はどうしたいのかわかりません…みんなからハブられるのが怖いから自分を押し殺してるだけです。辛い

  • #10

    sasayaki (金曜日, 20 11月 2015 11:08)

    数々のコメントも含めて読ませて頂き、現在鬱病で通院をしている私の考えを書かせて頂きます。

    今、ちょうど題目を鬱を発症してから何年ぶりかにあげている所です。

    心の病は、本当に千差万別で同じクリニックに通う方でも色んな方がいらっしゃいます。本当に様々。かく言う私も先日胸中題目をあげていてハッと思えるほど『やけくそ』な生活を送っておりました。
    焦り、不安…様々な要素がこんがらがった状態で自分では何がなんだかわかりません。
    ただ私は生来、日記を付けるのが好きでしたので以前よりももっと誰にも読まれてはならないような日記をつけることにしました。
    『今日は○○さんが来た。なぜだか煩くしか感じない。』『○○さんに言われた嫌な言葉を思い出して腹が立つ。なんであんなこと言われて笑っていたのか、今の自分には理解不能』など。本当にここには書けない汚い言葉もあります。
    そうこうしているうちに、自分が嫌だったことしたくないと思っていたこと…芋づる式に出てきます。これは何もしないよりは数倍良かったと思います。
    とにかくその時、その時、『やってみよう』と思えることしかしない!と割り切るのが1番良いと思います。なにせ『したいと思うことが何も思いつかない』がスタート地点なのですから。
    学会活動もしない!と決めました。その時は『したい』と思わなかったからです。でも、もしもしなくて少しでも心が痛むなら一遍でも題目をあげて、その後自分を苦笑いしながらでも褒めてあげてください。それでちっともスッキリしなくてもいいんです。『自分を褒める』癖をつけるのが大事だと思うからです。それは自照するような行為かも知れませんが、それでいいんです。
    元気な時に褒められると増上慢とか怖いですよね、かなり自重しますよね(笑)
    でも心が痛んでる時は良いんです。こんな馬鹿なことしてる自分が可愛くなるんです。そしてそれは『笑う』という感情を自分に取り戻すことにつながり、今の私が『希望を持つ』という段階までの大事な1歩だったと思うからです。
    『希望』は凄いです。少しずつチャレンジしようかなと思えます。もちろん一気に題目をあげたり会合に参加したり出来る訳ではありません。ありませんでした、少なくとも私は。でも『希望の灯』がポッとでも見えれば、その時までに癖になっている自分を褒める行為でエヘヘと笑えるんです。
    「まだ無理だったかーエヘヘ」と声に出せたら最高に良いです。
    今は題目をあげられるようになって3日目(発症してからの最高記録!)で、まだまだ投薬された抗うつ薬を飲み続け、クリニックにも通うでしょう。明日の私は誰にもわかりません。でも、恐らく私は大丈夫です。
    『きっとまたエヘヘと笑えるし、笑おう』『まだダメだったけど、このままいけばいつかは!大丈夫』『また出来なかったらエヘヘと言おう』って思えるから。

  • #9

    S. (木曜日, 05 11月 2015 08:06)

    #8 non様

    まず管理人様に深く感謝申し上げます。

    うつ病の権威の医師に
    野村総一郎さんが有名ですが
    もし仮に自身がウツになったら
    電気ショック療法を受けると言っていたのを思い出します。

    どうも、統合失調症に近い症状な感じはします。
    仏法から見れば業が出ているとも言えますが
    賢明に医学を活用されつつ
    あまりムリに勤行とか信心にとらわれ過ぎない方が良策かもしれません。

    以前、自身はパニック障害になりまして
    治したくて
    半ば意地でたくさんお題目あげたら
    悪化して、ウツが長期化しまして。
    「今はテレビでも見て気分転換しては」
    とアドバイスされまして。

    どうもこの病は、ひたすらやればいいという
    正攻法では上手くいかない
    そこに難しさを含んでいる感じはあります。

    むしろ生活療法しつつ
    お題目あげていく中で
    良くなることを実感していく
    その方がいいのかなと…

    あくまで自身の私見なので、ご参考までに。

  • #8

    non (火曜日, 20 10月 2015 13:10)

    困っていてこちらのホームページにたどり着きました。

    もし、どなたかアドバイスをいただけると助かります。
    母は、病院へいくとうつ病と診断されましたが、気分が落ち込み
    やる気がないという訳ではないのです。
    身体中がおさえつけられるような圧迫感と痛みしびれなのです。
    入院し、薬がきかないので電気ショックを与える治療で
    痛みだけはなくなりました。

    ただ、わたしから見ると、母は病気というより
    別の人格が乗移っているように見受けられます。
    うわごとのようにしゃべったり、白目になったり、
    勤行させると、その状態になるのでさせなかったのですが
    調子が良さそうだったので、一緒にするとやはり別の人格が
    現れました。

    キリスト教でいう悪魔付きのような感じだと思います。
    一体これをどう解釈していけばいいのか
    勤行はさせない方がいい人もいるのでしょうか。

    本人は信仰ですべての状況や病をよくしてきたので、
    仏壇にむかいたがるのですが、うつ病で退院してから
    させずにいました。

    電気ショックを与える治療で痛みだけはなくなり
    生活ができるまでになりました。

    ただ、勤行すると別の人格がでます。
    勤行や祈りには、すごい影響力があることは
    わかるのですが、本人はしたくとも
    しない方がいいのでしょうか。

    どなたか答えを下さい。

  • #7

    peko (火曜日, 22 9月 2015 02:50)

    はじめまして
    今まさに不安で苦しくて検索してこちらにたどり着きました。

    お陰様で心の負担が軽くなりました。

    ありがとうございますm(__)m

  • #6

    T (火曜日, 09 6月 2015 12:23)

    #1のI様

    無理をしての選挙活動が良かったとのご意見、賛成しかねます。
    そもそも、信仰と選挙活動は別だと思います。
    法戦などという言葉、誰が考えたのでしょう?全くおかしな話です。
    政治もわからず、絶対正しいとの思い込みの上での活動は世間の迷惑になっています。

  • #5

    k (土曜日, 23 5月 2015)

    本部に相談に行きました。
    一遍の題目ても、計り知れない功徳があるということを話して頂き、改めて、そうだ、一遍でも計り知れない功徳があることを、再確認出来ました。
    大聖人は、まさに、心の病の人の為に、残して下さった御文だと思いました。
    唱題したいときに、確信を持った一遍の題目が大切だと、改めて思いました。

  • #4

    k (木曜日, 02 4月 2015 03:08)

    何もする気がしないときに、どうしたらいいか、カウンセラーに聞いた回答です。

    例えば、やらなければいけないことをやれないで悲しくなってしまうのであれば、そこは一度置いておいて、「今、ここ、この瞬間」に集中して生きるのをお勧めします。

    今咲いてる桜、今聞こえる音、今感じるものを大事にされてみると、新しい感覚が産まれるかもしれません。

  • #3

    k (火曜日, 13 1月 2015 15:56)

    何もする気がしない時は、胸中唱題がいいのではないかと、思いました。

  • #2

    soka890 (水曜日, 17 12月 2014 22:42)

    T様からのコメント

    何度も読ませて頂きました。
    父に語られてるような気持ちです。
    以前、何かの本で「元々怠けてる人は、ウツにはならない。」
    とあり何もかもが中途半端な半生の私が、
    今心療内科に通っているのは「逃げ」だと思っていました。
     
    でも、自分を卑下して良くなるならしよう。
    悪くなるなら止めよう。
    少しだけ前と上を向くようにします。
    本当にありがとうございます。

  • #1

    soka890 (月曜日, 17 11月 2014 22:10)

    I様からのコメント

    >ご本尊を「信じる」ことが大事・・ですが、確たる体験がなければ疑いが生じてしまうのは自然なことです。ましてや無理なく自分のペースで勤行・唱題をする、会合に出る、とかくごく普通の「悩める人」で終わってしまいがちです。

    自分のペースで「頑張る」。とても矛盾しています。自分のペースが何であるのか心に悩みのある人は自分で決め難い。「頑張る」は、イメージ的には、やはり自分が「ちょっと無理」と思うことでも一段階上げて取り組むことだと考えます。

    私は、精神的に迷路の中にさまよう時期が何十年もありました。今もまだ完全に抜けきってはいませんが、少なくとも自分の身に何が起きていたのか、どういうことが原因で悩むようになったのか全貌が明らかになったのは、題目をたくさん挙げて、会いたくない人のところに「作れない笑顔でも、広宣流布のために笑顔を作れば、それが実際に笑顔でいられる生活の因になるだろう」と選挙のお願いに歩いた後のことでした。もちろん訪問した後は、疲れて、布団を敷いて寝たり、しばらく反動で人に会わないこともありましたが、私があの時にした無理は、自分の求めていた結果に近づく因になっていました。

    思うのですが、実際に精神科の先生は、私の経験上は、一番精神的に悩む人の気持ちがわかっていません。迷路の中にさまよう人たちは、一縷の望みをかけて少しでも闇の出口への地図を手に入れたくてクリニックを訪問するのです。でもあまりに待つ時間が長くようやく来た自分の順番に、先生は浅い言葉か、セラピーの提案か、屁理屈しか言わず、最後には当面不安で最悪事態を招かないように「精神安定剤をお出しします」の言葉だけです!

    私はいつも思うのですが、精神科の先生(どんな本を書いていようが、名前がその道の研究で有名だろうが)が出てくる以前のソーシャルワーカー(?)によるヒアリングの段階が一番癒される!!そこで気持ちがほぐれたり、再確認したりしているときに、「あー、ここなら何か自分の悩み解決につながりそうだ」と希望が湧いてくるのです。ところが先生が出てきて、結局患者の悩みの解決への手は差し伸べられることもなく、地図の切れ端すら手にはいらない。冷たい言葉すら投げかけられる。ここでの絶望がさらなるウツに繋がることも、絶望感に陥らされることもあると思います。

    河合 一さんからの手紙というこの文章も、心を深く病んで、解決方法を望んでいる人の心を開くカギはあまり提示してはいないと思います。「無理をしなくてもいい理由や実例」に反して「ご本尊を信じることです」「頑張る」。
    ところどころ日蓮大聖人のご聖訓の引用。

    日蓮大聖人のご聖訓を選んで引用されるのであれば、「心の師とはなるとも心を師とはせざれ」もあり、心の通りにただ従うのであれば、どこまでも流されてしまうし、魔にみいられる・・のではないか、と、私は多少の無理をしながら笑顔も強いて学会活動もある程度は励んできました。そしてそれによる福運が諸天を動かして、自分の癒しに必要な情報を引き寄せ、必要な人を呼び、見たほうが有用なテレビ番組をたまたま見ることになったり、必要な感情爆発のきっかけを生んだりして、解決に繋がってきたのだと思いました。